能楽座 第15回自主公演
一調一管「小原木」 茂山 千之丞
笛 松田 弘之
小鼓 大倉 源次郎
笛 松田 弘之
小鼓 大倉 源次郎
独吟「鳴子」 野村 萬
小舞「七つに成子」 茂山 忠三郎
能「大原御幸」
シテ 片山 九郎右衛門
ツレ 近藤 乾之助
大槻 文蔵
片山 清司
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 宝生 欣哉
高井 松男
大日方 寛
アイ 山本 泰太郎
笛 藤田 六郎兵衛
小鼓 曽和 博朗
大鼓 山本 孝
主後見 観世 銕之丞
地頭 梅若 玄祥
シテ 片山 九郎右衛門
ツレ 近藤 乾之助
大槻 文蔵
片山 清司
ワキ 宝生 閑
ワキツレ 宝生 欣哉
高井 松男
大日方 寛
アイ 山本 泰太郎
笛 藤田 六郎兵衛
小鼓 曽和 博朗
大鼓 山本 孝
主後見 観世 銕之丞
地頭 梅若 玄祥
※8月15日(土)国立能楽堂
今回は、もう~気合入れて(お茶・扇子持参)開場前に並びました。
なんといっても片山九郎右衛門&近藤乾之助コンビによる異流共演ですもの!
開場の時点では阿修羅展並みの行列でしたが、がんばった甲斐あって希望の席をゲット。
もちろん、乾之助法皇をバッチリ拝める脇正面です。
なんといっても片山九郎右衛門&近藤乾之助コンビによる異流共演ですもの!
開場の時点では阿修羅展並みの行列でしたが、がんばった甲斐あって希望の席をゲット。
もちろん、乾之助法皇をバッチリ拝める脇正面です。
これが、乾之助ファンにとっては大満足な公演でした!
「船弁慶」は、謡が太鼓にかき消されてしまうところもあったのだけど、あの低く透明感のある声、静かだけど次第に強く畳み掛けてくるような息の長い謡に引き込まれました。
船弁慶の謡って力で押してくるようなイメージがあったけど、「引く」ことで強さが出るのですね!
荒れ狂う亡霊・知盛も乾之助さんにかかると、公達の亡霊らしい気品あふれる知盛に。
船弁慶の謡って力で押してくるようなイメージがあったけど、「引く」ことで強さが出るのですね!
荒れ狂う亡霊・知盛も乾之助さんにかかると、公達の亡霊らしい気品あふれる知盛に。
前半は各家対抗謡合戦といった趣でしたが、圧巻は東次郎の「法師ヶ母」。
狂言舞囃子なんて初めて観たのでしたが、東次郎の謡の明るく華やかなこと!
茂山忠三郎の「七つに成子」の地謡を東次郎家がつとめていたときは、足並みもイマイチだったけど、「法師ヶ母」は見所の空気を引っ張って、舞台がぱあっと明るくなったような印象を受けました。則重の謡もなかなかよかった。最近の則重は安定感も出てきて、要チェックです。
狂言舞囃子なんて初めて観たのでしたが、東次郎の謡の明るく華やかなこと!
茂山忠三郎の「七つに成子」の地謡を東次郎家がつとめていたときは、足並みもイマイチだったけど、「法師ヶ母」は見所の空気を引っ張って、舞台がぱあっと明るくなったような印象を受けました。則重の謡もなかなかよかった。最近の則重は安定感も出てきて、要チェックです。
銕之丞の「邯鄲」。最近の銕之丞はいっそう脂がのってきた、じゃなかった舞台が充実してきた観があります。緩→急に動きが移る時がほんとにきれい。秋以降の舞台も楽しみです・・・。
大原御幸は居グセが長くて、ぱっと見は静かな曲ですが、曲の流れを追ううちにジワジワと面白くなっていく曲だと思います。
仏に手向ける花を摘もうと山に入ったシテ(健礼門院)の中入り後、後白河法皇が大勢のお供を引き連れての御幸の様子が仰々しく描かれます。万里小路中納言こと閑さんの謡で、大原の里の静寂と御幸の騒がしさのコントラストがくっきり際だつよう。初夏に近い春の眩しい日差しが山里に降り注ぎ、池の玉藻もよどんだような緑を深くした、その明るさゆえに静寂がいっそう際立つような大原の様子を謡う閑さんの万里小路中納言、私は二回目だけど、今回もうっとり。
そして喧騒の中央にすっと立つ乾之助法皇。この方の立ち姿は、いつ見ても存在感大きいです。
仏に手向ける花を摘もうと山に入ったシテ(健礼門院)の中入り後、後白河法皇が大勢のお供を引き連れての御幸の様子が仰々しく描かれます。万里小路中納言こと閑さんの謡で、大原の里の静寂と御幸の騒がしさのコントラストがくっきり際だつよう。初夏に近い春の眩しい日差しが山里に降り注ぎ、池の玉藻もよどんだような緑を深くした、その明るさゆえに静寂がいっそう際立つような大原の様子を謡う閑さんの万里小路中納言、私は二回目だけど、今回もうっとり。
そして喧騒の中央にすっと立つ乾之助法皇。この方の立ち姿は、いつ見ても存在感大きいです。
シテは若女系の可憐な面に花帽子、阿波ノ内侍が曲見、大納言局は女院よりやや若い小面で、三人とも出家してまだ間もないのでしょうか。九郎右衛門の女院は、花帽子の影にのぞく少女のような面差しが悲劇を一層きわだたせ、運命に流されるように出家した女三宮(源氏物語)をどこか連想させます。
「あなたは六道の地獄を見てきたんだってね」と切り出す乾之助法皇は、あくまで静かで上品なのだけど(ああ、この謡の気品にあふれていたこと!)、ただのイジワルではない、底の知れない冷徹さを感じさせられました。後白河にとっては源平の政権争いも、孫にあたる安徳天皇さえも、しょせん駒の一つとして俯瞰してきた、あとは自分が目にしていないのは地獄だけだ・・・という醒めた目で、泣き崩れる女院を見おろしているんじゃないか・・・。
これ以降の女院の謡による平家滅亡の様子は、修羅能より修羅っぽいというか、謡が静かなだけに壮絶な内容。脇正面からはシテの後姿しか見えないのだけど、満身に創を負ったような女院が、それでも必死に法皇をまっすぐ見て語る様子が見てとれました。
やがて還御となり、何事もなかったように大原の里を去る法皇を、両袖を抱くようにしていつまでも見送る女院。生きて会うことも二度とあるまい・・・この場面、橋掛かりの空間を実によく活かしていますねえ。
「あなたは六道の地獄を見てきたんだってね」と切り出す乾之助法皇は、あくまで静かで上品なのだけど(ああ、この謡の気品にあふれていたこと!)、ただのイジワルではない、底の知れない冷徹さを感じさせられました。後白河にとっては源平の政権争いも、孫にあたる安徳天皇さえも、しょせん駒の一つとして俯瞰してきた、あとは自分が目にしていないのは地獄だけだ・・・という醒めた目で、泣き崩れる女院を見おろしているんじゃないか・・・。
これ以降の女院の謡による平家滅亡の様子は、修羅能より修羅っぽいというか、謡が静かなだけに壮絶な内容。脇正面からはシテの後姿しか見えないのだけど、満身に創を負ったような女院が、それでも必死に法皇をまっすぐ見て語る様子が見てとれました。
やがて還御となり、何事もなかったように大原の里を去る法皇を、両袖を抱くようにしていつまでも見送る女院。生きて会うことも二度とあるまい・・・この場面、橋掛かりの空間を実によく活かしていますねえ。