謡音読会 第37回「大原御幸」

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 年が明けて最初の音読会。
 今回で連続5回目の参加で、今後も継続していける見通しが立ったので、回数券を申し込んできました(とても良心的な料金体系です)。
 月に一度の会ですが、以前の無茶振りな環境下で定期的に時間を割くこともできなかった生活を思うと、心に張りが生まれたように思います。今まではひたすら寝ていた日曜の朝に、早起きして朝ごはん作って洗濯物を干して、図書館に立ち寄ってから能楽堂に向かうのですが、やはり人間もちゃんとお日様の光を浴びるのが大事なんだな~と思うこの頃。
 
 さて、1月の対象曲は「大原御幸」。
 
 平家滅亡の際、入水したが源氏の武士に助けられた建礼門院は、仏門に入り大原の寂光院で、安徳天皇はじめ平家一門の冥福を祈って日々を送っている。初夏のある日、後白河法皇が訪ねてくる。法皇の尋ねに従って建礼門院は平家が滅亡した苦しみを六道の有様にたとえて語り、平家一門の人々の最期の様子を述べる。やがて名残もつきぬままに法皇が還幸され建礼門院は心寂しく見送る。
(出典:大槻能楽堂HP)
 
 やまねこ、「大原御幸(喜多では小原御幸)」は今までに3回(観世2回・喜多1回)観ているし謡本持ってるから、内容は知ってるつもりだったのですが、音読会で(役に分かれて読む分を入れると)3回も音読していると、やはり行間の微妙な部分は見落とし(聴き落とし)ていたのに気がつきます。
 
<おことわり>
 以下の読解というか解釈は、やまねこが勝手に解釈したものです。基本的にこの会では、「ここはこう読む」的な説明はしていませんので、その点を踏まえてお読みくださいますよう、お願いいたします。
 
 たとえば、建礼門院が亡き安徳天皇の仏前に供えるための樒を摘みに山に上る場面。お供する大納言局が「わらはも御伴申し。爪木蕨を折り、供御に供へ申し候べし」というのを、仏前に備えるものだと誤読していたのですが、実は煮炊き用の薪と食料を採りに行ったのだだとわかったり・・・。些細な描写ですが、国母であった高貴な女性の暮らしがいかに落魄した侘しいものであることか。
 
 この場面の直前には後白河法皇の(お忍びとはいえ)賑々しい御幸の様子、大原に着いた法皇が池の水面に散り敷いた桜の美しさを詠む場面があるのですが、深読みしちゃうと、水面の桜から入水した建礼門院の姿態を想像している法皇の好色な視線が感じられる。高倉帝の父帝である後白河法皇建礼門院にとっては舅であるのみならず、平家を滅ぼした張本人である(一説によると高倉帝崩御の後に建礼門院法皇に入内させる話もあったという)、非常~に微妙~~な関係なのです。そうした二人の対照的な登場場面が交互に切り替る前半部分、すごく上手く引っ張っています。
 
 今回の資料には、平家物語の原文の一部が引用されており、能「大原御幸」の詞章が平家物語のそれをそっくり移植したのがわかるようになっています。小早川さんによると、「平家物語の文章を立体的にビジュアル化したのが能なんです」とのこと。
よくこれだけそっくり謡に転用できたなあと思いますが、同じ平家物語から琵琶法師が生まれたことを思うと、そう無理のあるテクストではないのかしらん。
 
 法皇寂光院に着き、内侍が対応する場面では、法皇の詞は重々しくゆっくりと、内侍の詞は控えめに音読し分けます。前回の「檜垣」では、「99歳のお婆さんなので、もう少しゆっくり読んでくださいね」と言われましたが、単に詞を追うだけではなく場面状況や人物に合わせて詞を読むのです。
この中で、法皇に対して内侍が「女院は上の山へ花摘に御出でにて」と答える場面。花摘み?なぜ樒を摘みに行ったと言わないんだろう?・・・あ、そうか。建礼門院が摘みに行った樒は、安徳帝以下平家一門、つまり朝敵に供えるものだから、なのか。。今まで何度も詞章を読んでいたはずなのに、こうした行間はスルーしていたのね~。そういえば、最後の「二人の会」で、ツレの女官二人がシテを守るように側に控えていたのが思い出されます。
 
 建礼門院後白河法皇両者のこうした微妙な緊張関係は謡の端々にあらわれていて、いよいよ建礼門院法皇の前に現れる場面「青葉隠れの遅桜 初花よりも珍らかに~」というくだりは、法皇の目に映る女院の姿を表したもの。当時、建礼門院は三十を越したばかりだったとか。
「ここは、その、なんというか、色香(ゴホン)を感じさせるというか・・・」
先生、そこで思いっきり照れないでください(笑)。
 それにしても、この後白河法皇のキャラは単なるヒール(悪役)では済まない底深さ・残酷さを感じさせる。絶対に自分の掌から逃れられない羽虫の羽をむしって息をふっと吹きかけているような。
 
 法皇からの最も残酷な問いかけ(安徳帝の最期の様子)に対して、安徳帝はじめ平家一門の最期を女院が語るくだりは、淡々と状況を描写しているだけに痛烈な抗議に感じられるのですね。 そう思うと、大原御幸は生き残ったばかりに仇敵の法皇に心の内にまで踏み込まれ、平家一門の最期を語らされる建礼門院の悲劇であるし、まさに「見るべきものは見」た者の物語でもあるように読める。
 
 ・・・と、やまねこがつらつら書くと、なにやら読解教室みたいに誤解されそう(汗)。
声に出して初めて気がついた行間から、登場人物の生き様や心理状態が浮かび上がるドラマ。次にこの曲を舞台で観るとき、どれだけ新しい発見があるのだろう。