福岡の休日一日目-②ふくの街・下関上陸記

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 下関に渡ったまではいいけれど、実はどこに行くか決めてなかったので、ひとまず壇ノ浦に沈んだ安徳天皇と平家一門を祀った赤間神宮を目指していくことに。
・・・と思ったら、レトロ建築好きをくすぐる建物が。
 
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 歩道橋から見たら、なんと、屋上に庭園&お社(?)があるではないですかい!
この洋館、「旧秋田商会」は日本で初の屋上庭園を有する建物で、現在は観光情報センターとして使われています。
 
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 旧秋田商会の隣には、現役の郵便局「南部町郵便局」(明治33年・1900年)が。
 
 
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 このエントランス部分といい、全体的に瀟洒というか可愛らしい建物です。
郵便局内部も天井が高くゆったりした造りで、ほっとさせられます。いいなあ~!
 
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 昼下がりの街角。
・・・が、ここで道をまちがってしまい、歩けば歩くほど壇ノ浦から遠ざかることに!
 
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 どこをどう歩いたのやら(汗)、昭和な商店街に迷いこんだ やまねこ。
看板に金子みすずの詩を書き込んだ「洋品店」や、「純喫茶」が並ぶ一角。
下関って金子みすずゆかりの町だったのか。。
 
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 そういえば、下関も門司もフグを「ふく」って表記しています。
「ふく=福」を掛け合わせているのかな。
 
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 結局、通りがかったおばあちゃんに道を尋ねてみたら、なんのことはない、赤間神宮は桟橋から歩いて5分ほどの場所にあったのでした(大汗)。
赤間神宮の隣には「下関条約記念館」なる建物もあって(時間がなくて行けなかったけど)、壇ノ浦にしてもそうだけど、下関は日本の政治・外交の転換期を迎えた土地なんですね。
 
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 平家一門のお墓の入り口にある「芳一堂」。
これならお迎えがなくても毎晩琵琶を弾けるよね、ってことなんでしょうか。。
 安徳天皇陵(注・実際には遺体はないそうです)は、菊の御紋をあしらった塀の向こうにあって、閉ざされた扉越しに黒木か石の鳥居がちらっと見えました。零落した建礼門院が回向のために、幼い安徳天皇が最後まで着ていた衣を寄進したというエピソードを読んだことがあるけど、建礼門院がどんな気持ちで形見の衣を手放したのか、想像に余りありますね。
 
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 赤間神宮のすぐ目の前に広がる壇ノ浦。
 
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 壇ノ浦といえば、「碇潜(いかりかづき)」の謡蹟。
あ~~あの、登場人物がやたらゾロゾロ出てくるお芝居みたいな曲ね。碇担いだ喜正が最後にシテ柱にぶつかってヨタってた「のうのう能」を思い出す。。
それどころか、今年も観る予定なんだよね。
 
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 知盛にちなんだ碇のモニュメント。
この石段からそのまま海に降りられるようになっているんだけど、チラッと見ただけでも水深が深く潮の流れも急なのがわかるくらいで、熊手で髪や装束を捕まえられなかったら、かなりの確率で入水は成功しそうな感じ。。
 そして、海面のいたるところに大きな和布がゆらゆら揺れていて、そういえば対岸の門司は能「和布刈(めかり)」と松本清張「時間の習俗」の舞台になった和布刈神社があるくらいで、和布の産地でもあるのを思い出し、なにげにブンガク紀行を気どる やまねこでした、
 が、「和布刈」なら確か宝生会で見たはずだけど、どんな曲だったか全然思い出せない。。脇能だから寝てたのかも。。なむぅ~と、再び門司に戻る小舟に飛び乗るのでした。