福岡の休日一日目-③門司レトロ建築探訪と林芙美子

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 今回の旅のお楽しみは、なんといっても近代建築ウォッチング!
門司港駅から桟橋までの歩いて5分ほどの区画は、大正期から戦前にかけて建てられた近代建築密集エリア。
 で、まずは門司港駅の斜め向かいにあるここ。
 
旧門司三井倶楽部
 1921年(大正10年)に三井物産の社交場として建てられ、その後は旧国鉄の所有となっていたのですが、1990年(平成2年)に現在の場所に移築。
 
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 建物の外壁はグレーがかった深緑色で、ハーフティンバー(写真のように柱、 梁、筋違(すじかい)、間柱、窓台など軸組みとなる部分を外観に現し、その間を煉瓦で 充てんしたり、スタッコ塗りに仕上げたスタイル)が印象的。スキー場のロッジによく見かけるスタイルといった方がわかりやすいかもしれませんね(笑)。
 
 
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 裏側から見ると、日本家屋が洋館に接木されたような造り。というか、接木されているのは洋館の方かも。
 内部は、一階がレストラン、二階では門司港の歴史と この地で生まれた(とされる)林芙美子ゆかりの品を展示しています。もちろん、和布刈神事の写真パネルととに松本清張の「時間の習俗」も紹介されています。門司にゆかりの作家といえば、他には火野葦平かな。門司の港湾労働者であった若き日の両親をモデルにした「花と龍」は、石原裕次郎浅丘ルリ子高倉健&星由里子などのスゴい組み合わせで何度も映画化されています。
 
 火野と同時期に従軍作家として南方に赴き「浮雲」を書いた林芙美子は、下関で生まれたという説もありますが、近年では門司港にほど近い小森江の工場地帯で生まれたという説が有力です。行商人の私生児として生まれ、物心ついたときから労働者相手に餡パンの行商に立ち、母親と同じように食うために職と男を転々としてきた芙美子の、放浪の生涯を象徴するようなエピソードですが、しかし彼女はその文才で底辺の生活から文字通り這い上がります。
 芙美子の書いたものを読んでいると、正直いってオトモダチには絶対なれないタイプだな~と思うけど、彼女が旅した土地の描写はすごく惹かれる。特に、「浮雲」で男女の流れ着く屋久島には行ってみたい。
 
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 旧三井倶楽部の裏手はもう海!そのまま船溜まり沿いにてくてく歩いていくと、旧大阪商船の建物に突き当たります。
 
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旧大阪商船
 1917(大正6年)に大陸航路の待合所として建てられた、一見レンガの建物に見えるけど、実はオレンジ色のタイルの外観の木造2階建ての建物。やまねこが行った時は1階は盆栽を展示していて、二階ではなぜか(?)わたせせいぞうのイラスト展をやってました
 
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 旧大阪商船内部。実は階段オタクなやまねこ(笑)。
 
 
 
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ホームリンガー商会
 旧大阪商船のすぐ斜め横に建っている、この可愛らしい建物は長崎のグラバー商会の社員によって興されたスコットランド系の商社。そう、あのグラバー邸で有名なグラバーで、現在も営業中です。建築年代はよくわからないけど、見たところどうも戦後(昭和30年代)らしい。
 
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旧門司税関
 もとは1912年(明治45年)に建てられ、昭和初期まで税関として使われていたレンガ造りのこの建物は、空襲に遭って損傷していたのを修復というか復元したそうです。近づいてみると、確かにレンガの表面というか年代にムラがある。。
 それにしても九州の日差しはストレートで空もほんとに真っ青。帰京して画像をチェックしてみると、金沢は言うに及ばず東京・横浜で撮った建築の写真と比べて、アウトラインがくっきりした写真だらけです。
 
 門司に着いてからハヤシライス食べたくらいで、ノンストップで関門海峡を往復したので、このへんでひと休み~と、ソフトクリーム屋さんに立ち寄る やまねこ。
呼び鈴鳴らしたら、スタンドのすぐ後ろで昼寝してたオジサンがあわてて跳ね起きて、うねうね渦を巻いてくれましたよん
 しかし!その次の瞬間、思いがけない光景が繰り広げられたのでした!!
 
 ・・・というわけで、続きはまた明日(?)~~。