銕仙会 一月青山能(第2部)

狂言「内沙汰」
シテ(右近) 小笠原 匡
アド(妻)   野村 万蔵
 
能「頼政
シテ  浅見 真州(代演)
ワキ  宝生 欣哉
アイ  山下 浩一郎
笛   一噌 隆之
小鼓  鵜澤 洋太郎
大鼓  柿原 弘和
地頭  観世 銕之丞
後見  清水 寛二  馬野 正基
 
(※1月22日(土) 銕仙会能楽研修所)
 
頼政」のおシテが野村四郎から浅見真州に変更になりました、と銕仙会から連絡が入ったのは、公演の10日ほど前のこと。
一瞬「え?まさか・・・」とドキッとしたのだけど、アキレス腱を切ってしまわれたのだそうで、春まですべての舞台はお休みされる見通しとのことです。お兄様の野村万之介さんのご逝去が報じられたのはその翌日。
やまねこは四郎先生とはいまいちスケジュールが合わないのだけど、ご回復を心よりお待ちしております~。
 
頼政」は、去年5月にもやはり青山能で観ているのだけど、若者や外国人で埋まった昨年とは異なり、今回は定期公演とほぼ同じ年齢層。四郎(or真州)ファンが集結したのかな~(←暴走族か?!)。やまねこの近くの席では、紺のスーツ姿の小早川泰輝くんが、茶席のように背筋をすっと伸ばした正座で真州先生の舞台を拝見していましたよ。
 
シテには、なまじそこそこまで出世して文化人としても名前を知られているだけに、実質が伴わず屈折したプライドを捨てきれない弱さ、愚かさ・・・そして、そんな自らの愚かさがわからない訳ではない程度には知的な男の屈託が現れているように思いました。
修羅能といっても、シテは前場後場を通して謡や力をガツーンと張ることはなく、かといって背骨の強さはとどめているような微妙な「力の失われ加減」が、頼政が70を過ぎた老武者だということを自然に実感させる。力強さを表現するより、実はこの「衰え加減」の表現こそ、体の芯の強靭さを物語るのかもしれない・・・と思う。浅見真州の舞台の魅力は、洗練された謡や型の上品さだけでなく、リアリズムを追求しつつも お役の人物からはどこか半歩引いたような冷静な眼を感じるところだ。
頼政」の面白さは、シテ(頼政)の主観と、アイ語り(第三者の目で事実を外側から語ることによって、シテに対する批評が入る)と、後場地謡頼政に対する平家側の描写)の三つの視点が前後して語られることによって、極限まで余分を削ぎ落とした舞台の上に、敗者・頼政と勝者たる二万余騎の平家の軍勢の対峙する様を立体的に浮かび上がらせる効果を出していることだと思います。こういう見方をするのも今回が二回目の鑑賞ということもあるのだろうけど、シテ(老いた頼政) VS 地謡(圧倒的優勢を誇る平家軍)の掛け合いが、まさに声の芸能の醍醐味を感じさせてくれました。
地頭の てっつんも気合バリバリで(←脇正面からお顔がよく見える)、特に平家の若武者田原忠綱が名乗りを上げて、ざっざっと馬を川に乗り入れていくくだりは、ややゆっくりめに力強く謡っていたのが、映画のスローモーションみたいというか、死を前にした頼政の心象風景だったのでは、という感じで、川を渡る場面そのものより迫力がありました。
必死の抗戦もむなしく、頼みの息子二人も目の前で討たれたシテは、今はこれまでと扇を敷いて「埋もれ木の~」辞世の歌を詠むのですが、落ち着き払った様子がなんとな~く、このときのためにあらかじめ準備しておいたような印象です。自分のスタイルに殉じたような死に方、ダンディズムというよりはナルシシズムを感じさせる最期です。うがった見方かもしれないけど、同じ老武者でも体育会系の実盛より屈折したインテリ系頼政に、世阿弥は愚かさを描きつつも共感してたんじゃないかと思うんですよね。オレも死ぬ前にもう一度表舞台に立ちたい・・・みたいな。
 
終演後のご挨拶&解説に現れた銕之丞によると、アラフィフ世代の古典の教科書には平家物語の「橋合戦」が取り上げられていて、係り結びなんか背筋が寒くなるほど苦手だった(笑) てっつんも、迫力とディティールに富んだ「橋合戦」だけは、講談調で暗唱できちゃうくらい大好きだったそうです。なるほど、それであの超~~気合・・・もちろん、講談調じゃなかったけどネ☆