国立能楽堂 4月定例公演「海士」

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狂言「酢薑(すはじかみ)」
 シテ(酢売り)  三宅右近
 アド(薑売り)  石田幸雄
 
能「海士 懐中之舞」
 シテ  浅見真州
 子方  谷本悠太朗
 ワキ  福王茂十郎
 ワキツレ  村瀬提  矢野昌平
 アイ  高澤祐介
 笛   松田弘
 小鼓  観世新九郎
 大鼓  河村 大
 太鼓  観世元伯
 後見  清水寛二
      谷本健吾
 地頭  浅見文義
 
(※4月18日(金) 国立能楽堂
 
 
 今年に入って初の観能記事。
 実際には1月の銕仙会を観に行っていますが、九郎右衛門の優雅で美しい猩々にうっとりして以来、なんと三カ月ぶりの観能でした。2年足らずの間に二度も環境が変わり、しかも最近まで繁忙期だったので、自覚している以上に疲れが溜まっているようです。冷たい雨の中ひさしぶりに能楽堂に足を運んだのに、狂言とそれに続く20分間の休憩はほとんど眠ってしまいました(涙)
 
 「海士 懐中之舞」
 浅見真州の「海士」はNHKの放送でも観たことがありますが、今回は「懐中之舞」の小書つき。放送では大胆な装束つけだったこともあって、今回はどんな舞台になるのか興味津々でした。
 解説によると、観世流の「懐中之舞」は後シテが懐に経典を入れたまま舞った後、子方に渡すとあります。宝生流にも「懐中之舞」の小書がありますが、こちらは「玉之段」で最初に床几にかけて途中で立った後扇を落として中入りし、後場観世流と同く懐に経典を入れて舞うというもので、前場の見どころ「玉之段」がだいぶ違うのです。やまねこは4年前に宝生流の「懐中之舞」も観てるけど、正直いって、ん~~、好みの問題かなあ。
 
 明るい黄緑色の地に金糸でとんぼが刺繍された、可愛らしい長絹姿の悠太朗くんが、お供を引き連れて四国志度の浦にやってくる。自分は実は卑しい海女から生まれたのだと近臣に耳打ちされて、亡き母を弔いにやってきたのだという。このくだり、子方の甲高い一生懸命な謡を聴いていると、物語の中では13歳の少年である房前大臣の、母を知らずに育った寂しさを感じさせますね。
 そこへ我が子のために命を落とした母親が現れないわけがない。NHKでは上半身は摺箔だけのセミヌード姿の海女だったけど、今回はグレーがかった淡い緑の水衣姿に、鬘は結わえずに背中に垂らし、たぶん深井なのか憂いと優しさをたたえた面の海女でした。さすがに今日は冷え込みが厳しかったのでしょうか(笑)
 やりとりをしているうちに、例によって、通りがかりの海女がなぜボクの出自を知ってるの?!的な展開となり、ワキに促されてシテは13年前の事件を語り始める。
 
 淡海公不比等)の妹が唐の高宗の妃となり、唐から興福寺藤原氏菩提寺)に贈られるはずだった「面向不背の珠」が、龍神に奪われてしまった。そこで不比等は自ら目(手)をつけた海女を、生まれた子を跡継ぎにするという条件で、珠を奪還させに龍宮に送り込んだ・・・。
 
 我が子のために、ただ一人龍宮に向かった母親の壮絶な物語「玉之段」は、橋掛かりを使うことで千尋の海の底まで一気に潜っていくスピード感が伝わってくる。浅見真州は本当に水をかき分けて、やまねこも海底に連れて行ったかのようだった。
龍宮では数十メートルの高楼の頂に珠を抱いており、その周りには悪龍悪魚がウジャウジャ泳ぎ回っている~という地謡の描写もとってもヴィジュアルで、海女の直面している絶体絶命の状況がひしひしと伝わってくるのですね。覚悟はしていたけれど、やはり地上のわが子にはもう会えないのだ・・・とはるか頭上の海面を仰ぎ、やがて心を決めたように鋭い足拍子を踏むシテ。
 やまねこの好みでは、これはやっぱり鎌で乳の下を掻き切る「玉之段」の方が、謡の壮絶な描写とバランスが取れる気がするな~。それだけに、直後に海上に引き揚げられた私は、生きながら人間の姿をとどめないほどに龍に食いちぎられながらも、乳の傷口から血濡れた珠を取り出して息絶えたのです・・・と、浅見真州が抑制のきいた謡で語ると、不比等の妹の華やかな婚姻との対比が際だつ。藤原氏の栄華の陰で壮絶な死を遂げ、忘れ去られた海女の無念さがあらわれているというか。
 そして、私があなたのお母さんよと名乗ったシテは、橋掛かりを渡って静かに波間に姿を消していくのでした。
 
 間ではアイが「淡海公不比等)」というところを「大織冠(鎌足)」と間違ったまま二度も繰り返していたけど、国立能楽堂ご自慢の字幕システムは、こういうとき初心者にもバレバレだから恐ろしい。。帰ったら誰か教えてあげてね。
 
 またまたNHKのインタビューで浅見真州は「『海士』は物語としては前場で完結している」と語っていたのですが、後場の龍女もすばらしかった。
 後シテは黒頭に龍戴、白地に濃紫や萌黄で巴などの刺繍をほどこした舞衣に、赤みがかった紫の柄大口姿。面は距離があったのでよく見えなかったけど、人間だった頃の表情を超越したような雰囲気の面だった。浅見真州の、あの重力を感じさせない、水面をあめんぼが滑っていくかのようなハコビは、早舞で龍女が海上を生き生きと飛んでいるかのようだった。笛もスピード感あふれるビートがすばらしかったですね~。先日のETVで、野村萬斎が「能の笛は『打楽器』だ、あれは吹くんじゃなくて気を『打ち込む』のだ」と言っていたのですが、納得の笛でした。
 龍女はただ一人本当に会いたかった我が子、人知れず砂の下に葬られた自分を忘れずに訪ねてきたくれた愛しい我が子に経典を渡します。悠太朗くんもしっかり経典を巻いて都に帰っていくのでした。
 
 全体的にオーソドックスだったけど、海女の壮絶な最期を通して強い母性を感じさせる舞台で、ひさしぶりにお能を堪能できた晩でした。
・・・が、帰りに山手線が止まってしまい、原宿から表参道まで冷たい雨の降りしきる中歩く羽目に帰宅は10時半過ぎ。海女の海草でもいいから(笑)、青山でゴハン食べて帰ればよかったな~。