古稀記念 第二十回浅見真州の会

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「 翁 」
  翁   浅見真州       
  千歳  浅見慈一
  三番叟 野村 萬   
  面箱  野村虎之介
  小鼓/頭取 大倉源次郎   /脇鼓 古賀裕己・田邊恭資
  笛   一噌仙幸   
  大鼓  柿原崇志
  地頭   山本順之 
  後見/主 木月孚行 副 北浪昭雄
 
仕 舞
 「忠 度」 片山九郎衛門(清司改メ)
 「釆 女」 観世清和
 「野 守」 観世淳夫
 
一 調
勧進帳」 浅井文義
 
道成寺
  シテ 浅見真州
  ワキ 宝生欣哉   
  ワキツレ 大日方 寛・則久英志
  アイ  三宅右近野村万蔵
  笛   杉 市和
  小鼓  林 吉兵衛
  大鼓  亀井忠雄
  太鼓  観世元伯
  地頭 観世銕之丞 
  後見 /主 野村四郎 副 小早川 修
  鐘後見/主 大槻文蔵  観世喜正・遠藤和久・長山耕三・谷本健吾
 
(※4月2日(土) 国立能楽堂
 
計画停電の影響で、楽しみにしていた公演が次々と中止または延期になる中、せめてこれだけは絶対上演させてくださいという思いが通じたのか、久しぶりに能楽堂に足を運ぶことができました。
なんといっても古稀を迎えた浅見真州が舞う二番は、「翁」「道成寺」。富士山に登ってすぐ降りて、そのまま穂高に登るようなものだろうか?!浅見真州の「翁」と「道成寺」が観られるなら!と母も上京。もちろん見所はほぼ満席。
 
何年たっても忘れられそうにない舞台でした。
 
「翁」
火打石の音のあと、面箱持、翁、千歳、三番叟がしずしずと舞台に現れ、続いて囃子方が橋掛かりにずらりと並ぶ・・・のを見れば、お正月に各流儀の公演で目にするより随分、平均年齢の高い「翁」である。
三番叟の野村萬にいたっては、なんと八十一歳!
露払いの千歳を勤める滋一さんが品よく颯爽と舞っている間、シテ(「翁」については、大夫と呼んだ方がしっくりきそう)は翁の面に向き合い、後見の手を借りてゆっくりと面をかける。「とうとうたらりら・・・」の謡い出しはそれほど大きな声ではなかったのだけど、まるで直面で舞っているようなというか、面が顔そのものになった翁だった。ああ、いま浅見真州は本当に「翁」になっているんだなと思った。
それ以上に私が感動したのは野村萬の三番叟。憑依(よりまし)たる大夫による天の舞を引き継ぐ三番叟は、きっちりと格調高く、ずたずたに引き裂かれ汚された大地を浄めて、ふたたび新しい生命の種を丹念に、まるで土に話しかけるように、蒔いていく。三番叟は、大地とともに生きていく人々の姿と祈りを凝縮したものなのだ、ということがすとんと納得できる舞だった。橋掛かりをすこし前かがみになって進んでくる野村萬を目にした時は、正直はらはらしたけれど、揉の段・鈴の段の間は息も上がらず、完璧に舞い上げた姿は本当にすばらしかった。
 
休憩の後の仕舞。若い山九郎衛門は、おおらかではんなりとした型・美しい声の持ち主で、すぐ後の清和宗家の仕舞がやや線が硬く神経質に見えたほど、同じ観世流でもカラーが違う。東西の気風の違いだろうか。観世敦夫くんは九郎衛門の実子かと思うくらい瓜二つで、男の子は母方に似るって本当なんだな~と妙なところに感心。声も叔父さんに似ればよかったのに。
 
そして、「道成寺」。
 
パンフレットによると、浅見真州は20年ほど前に「道成寺」の先行曲「鐘巻」の復曲にたずさわったという経緯があるそうで、今回の上演にあたり、「かつての「鐘巻」にあった、様々な要素を、「道成寺」の中に反映させることはできないものかと考えております」。
黒川に行ったことのない やまねこは、もちろん「鐘巻」なんて観たことないけど、いったいどんな舞台になるの?!この一文だけでも、すでに期待が高まります。
 
若い狂言方たちが、太い竹竿に吊り下げた鐘をわっせわっせと運んでくる。よ~く見ると、全員つま先立ちで一直線に並んで小走りに進んでくるのが、なんだか「白鳥の湖」の群舞みたい。。。ですが、山本東次郎家とはまた別のお約束事でもあるのか、これまた一回で鐘はするすると舞台の中心に吊り上げられていき、いよいよ物語が始まる。
 
橋掛かりに現れた白拍子は、金と蜜柑色を織り交ぜたような色合いの唐折に、金地に花を織り込んだ縫箔姿(黒地丸紋の常の縫箔ではない)。面は近江女かという予想ははずれて、うら若く可愛らしい乙女の顔(後で、銕之丞家所蔵の越智作「小面」と判明。稀にしか使われない面だそう)。
すすす、と一の松あたりまで進んだシテは、橋掛かりの壁に向くように(見所から背を向けるようにして)、「作りし罪も消え果ぬ・・・」と、ひとりごちるような低い声で謡い出し、ゆっくりと見所に向き直って今度はきっぱり「つぅ~く~り~し~つ~み~も~・・・」と謡い上げ、気合充分。
美しい白拍子を前に、カッコイイところを見せようと寺男(アイ)は禁を破って女を境内に入れてしまう。
それまでしおらしくしていた(?)女が、許しを得たとたん「嬉しやさらば舞わんとて」と高揚するのは、なんだか一瞬、魔性のものが顔を現したような、不吉なまでに明るい響きである。(このあたりから、すでに真州ワールドにどっぷりと曳きこまれてしまった やまねこ)
亀井忠雄の、空間を切り裂くような鋭い掛け声と一打に続いて、白拍子は「花の外には松ばかり・・・暮れ初めて鐘や響くらん」と舞い始める。いよいよ乱拍子に入るのだ。
 
演じる者観る者双方の胸をしめつけるような緊張感と静寂に支配される約30分間、精緻をきわめた爪先の動き、一瞬の間にゆるやかな美しい弧を描いて次の瞬間にはぴたり!と静止する上半身。シテは舞台に張り渡された張力の中心にいて、じりっ、じりっと確実に三角形を描きながら進んでいる。前場の早い段階でシテは蛇体を垣間見せる場面を見せていたのだけど、乱拍子ではそれがいよいよ顕著になり、乱拍子の合間に動きをぴたりと止めて、鐘をじっ・・・と見上げる型は、蛇が鎌首をもたげて獲物を狙う姿そのものである。他の「道成寺」では観たことのない型で、かなり真州テイスト濃厚な場面だった。それともこれが「鐘巻」なのかなあ?
 
ついに長い石段を登りきった白拍子は急之舞に入る。ぱーっと開かれた扇には血のような真紅の地に桃色の牡丹が描かれていて、あ、今日は観世流道成寺デビューだったんだ、ということを思い出す。副後見の小早川さんが、ちょっと前のめりになって食い入るようにシテを見つめているのが、やまねこの位置からはしっかり見えてます(笑)。そうこうしている間に、シテが扇で払い落とした烏帽子がきれいな放物線を描いて鐘の真下に落ちる。さあ鐘入りだ
 
・・・と思った瞬間、なんと、大きな揺れが!シテが本物の清姫を呼んでしまったのだろうか?
見所の座席もはっきりわかるほど揺れていたけれど、たぶん舞台の上では気づかなかったのか(気づいてもそれどころじゃなかっただろう)、シテは何ごともなかったかのように鐘の真下に入り込み跳躍すると同時に鐘がどしん!と落ちる。寸分の狂いもない、見事な鐘入り!!
アイ二人が「揺れ直せ、揺れ直せ!」と転がり回って大騒ぎし、万蔵の「それがしは地震かと思うた」という台詞に見所は大受け。本当に、舞台そのままの出来事で、こんなことって本当にあるのでしょうか。こうして書いていても信じられません!
 
やがて、住職(ワキ)たちの読経に反応するかのように鐘が激しく動き出しますが、今日の蛇はかなり手ごわそうで、鐘はなかなか持ち上がりません。正直いって、ワキ僧の欣哉は、老練な真州に対峙するには若すぎる住職という印象で、大丈夫か欣哉?!と超失礼な心配をしてしまう。
それでもついに持ち上がった鐘の下には・・・あれれ、蛇体がつくねんと座っている?今までの道成寺では、蛇体は白い卵に覆われて、ゆっくりと鎌首をもたげていたのですが、今回はいきなり蛇さんこんにちは状態です。
恋のさなぎ(鐘)に包まれた眠りを邪魔された蛇体は、打ち杖を手にゆっくりと立ち上がりますが、赤頭ではなく前場のままの鬘(宝生・喜多と同じ)、赤と金の鱗文様の摺箔に、朱の長袴姿。後姿は襟元できっちり結わえた黒髪を背に流したうら若い乙女の姿。向き直った顔はくすんだ肉色の般若。色合いといい、表情といい、人間の姿を残したままの生々しい面です。
法力が苦しいのか、肩を落とし上体を傾けながらもなおもワキ僧たちに向かっていく蛇体は、それでも鐘から視線を離そうとしません。しまいにはワキ僧たちに囲まれて膝を落とす姿は、周囲の大人の言葉を真に受けたばかりに鬼になってしまっただけの、いたいけな乙女がいじめられているように見える。ついに橋掛かりを去っていく・・・と思いきや、蛇体は橋掛かりの中ほどで膝を落とし、なおもあきらめきれないように鐘をじっ・・・と見つめて、やがて泣きながら小走りで日高川に去っていく姿は、鬼の力を得ても恋がかなえられないばかりか、理不尽に追い払われて泣き去る少女そのものでした。