銕仙会定期公演 十一月

能「俊寛
シテ   浅見真州
ツレ   馬野正基  浅見滋一
ワキ   森常好
アイ   深田博治
笛    松田弘
小鼓   大倉源次郎
大鼓   國川純
地頭   観世銕之丞
主後見  山本順之
 
狂言「茶子味梅」
シテ    石田幸雄
アド  高野和
小アド 野村万之介
 
能「海士」
シテ     谷本健吾
子方     伊藤嘉寿
ワキ     宝生欣哉
ワキツレ   大日向寛
        野口能弘
アイ     竹本悠樹
笛      八反田智子
小鼓     観世新九郎
大鼓     亀井広忠
太鼓     小寺真佐人
地頭     浅井文禎
主後見   観世銕之丞
 
(※11月12日(金) 宝生能楽堂
 
 
去年の暮れあたりから、やまねこの中では「浅見真州ブーム」みたいです。。。
みたい、というのは、気がついたら結果的に今年一番せっせと観ていたシテだったということで、いわゆる一目見て「きゃ~っステキ!」となるタイプのシテじゃないんだけど、骨格の美しい、深みのある舞台を観ているうちに、いつのまにか深みにハマリそう・・・という感じなのだ。
なので、毎年11月はなかなか時間も取れない中、浅見真州の舞台だけは観よう!と定時で職場をすっ飛んで水道橋に向かいましたのよん。見所もほぼ満席の盛況。
 
 
俊寛
平家物語」の中でも有名な俊寛島流しを題材にした能。
鹿谷の謀議で僧都俊寛・少将成経・平判官康頼の三人が九州の絶海の孤島・鬼界ケ島に流されて一年。大赦の勅使が島を訪れるものの、赦免状には俊寛の名前だけがなく、必死の懇願もむなしくひとり取り残される俊寛の姿を描いた、原典の見せ場だけをスパッとまとめた一時間ちょっとの短い曲です。
冒頭で少将成経・平判官康頼に酒に見立てた水を勧めての酒宴を催す俊寛は、枯草色の水衣に腰蓑姿の黒頭。やまねこ、「俊寛」は初見ですが、舞台写真では頭巾を被ったお坊さんスタイルしか見たことがなかったので、黒頭はちょっとビックリ。浅見真州はNHK「海士」で「能といえどもリアリズムを出したかった」と言って、前場で水衣を着ない摺箔(能では上半身に何も着ていない、つまりヌードを表している)に蓑を腰に巻きつけ、長い黒髪を結わえず背中に流した姿で、今まさに海から上がったばかりの海女を演じていたけれど、「俊寛」も同コンセプトだったのかな?
俊寛」という曲自体についていえば、演劇的要素の強い曲で、どちらかというと歌舞伎のほうがハマるのではないかと思います。特に後半は一歩間違えば「お芝居」になってしまう危険がありそうな気がするのですが、シテは「能」と「演劇」のぎりぎりの境界線で、生きる希望を絶たれた人間が誇りをかなぐり捨てて必死ですがりつく末に、絶望に突き落とされていく姿に迫っていました。
この日のシテは渋く暗めの謡い方をしていたのですが、赦免状に自分の名前をないことを知って、ワキから赦免状を受け取って表・裏と何度も返しながら食い入るように自分の名前を探し、ついに絶望の嗚咽をもらす場面、俊寛の心情の変化が謡と型の変化で刻々と鮮やかに表れていったのが圧巻でした。嗚咽を漏らすのは型だけで表現するのかと思いきや、本当に食いしばった歯の奥から絞り出すような声を出したのに驚きました。
艫綱を断ち切ってすがりつく俊寛を振りきったワキ・森常好の毅然とした勅使ぶりも、勅旨一枚が人間の運命を分かつことが勅使の彼にとっては日常のこととなっているのを感じさせて、その仕事ぶりがかえって俊寛の絶望を際だたせていたような。
ついに砂浜に取り残されたシテは、目付け柱を挟んで橋掛かりを船に乗って去っていく一行を、一歩、一歩と追っていくのですが、最後にふっと一歩下がったのが印象的。お囃子も松田弘之のむせび泣くような笛、静かにでも鋭く打ち込む源次郎の小鼓がすばらしかったです。
こういう舞台は拍手なんかいらないね。銕仙会はお囃子が橋掛かりを去るころになって、ようやく拍手をすることが多い(しないこともある)のが、結構気に入っています。
 
「茶子味梅」
日中関係が微妙な昨今、タイムリーな(?)「ダーリンは外国人」もの。
十年前に日本人に拿捕されて箱崎に住むようになった唐人の夫と日本人の妻の、二つの国の軋轢と言葉の壁を隔ててすれ違う心を描いた曲です。故郷に残した家族を恋しがって泣く夫に腹を立てつつも、酒宴をもうけて慰めようと舞をひとさし舞う日本人妻と中国人ダーリンは、それぞれ日本語と中国語で会話を成立させてしまっているのだけど、石田幸雄の「なんちゃって中国語」がいかにも「日本人にはこんな風に聞こえる中国語」っぽくて見所はゲラゲラ。でも滑稽なほどせつない話なのね~。
 
「海士」
「海士」はぜひ観ておこうと思ったんですけど・・・。
シテは銕仙会若手のホープ。定期公演の場合、シテが若いということは三役も若者(?)率高めってことなんですが、ん~~、ここからがシロウトゆえの辛口。全般的に力み気味というか、どれも強吟みたいな謡い方でメリハリがいまいちだったような・・・。このシテは、ツレでは何度か拝見しているし「玉之段」はさすがにキレもよかったのですが。若手のお囃子も笛がキンキンきつい音が耳を衝くし、広忠も全体を通して強く打ち込みすぎ!
 
最近思うことだけど、若手のお囃子による曲趣を無視したキツイ笛や大音量の大小が、雰囲気をぶち壊す場面にしばしば遭遇するので、もうちょっと曲の内容を配慮してほしい気がします。先月の喜多流の「浮舟」でも、後シテが現れる前の笛のヒシギも、薄幸の美女どころか鬼の群れでも迎えるかのような耳をつんざく音でがっかり~。了一は文句ナシに美しい浮舟だったけど。。。
 
この日の見所は玄人のお客もちらほらお見かけしたのですが、終演後出口に向かう人混みの中になんと、満次郎さまの姿が!来月の自演会を前に、他流の舞台も観にいらしたのかな~。さすがです。