横浜企画公演「美の世阿弥 華の信光」第2回

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能「砧」
 シテ   :浅見 真州
 ツレ   :北浪 貴裕
 ワキ   :森 常好
 ワキツレ:森 常太郎
 笛    :一噌 隆之
 大鼓  :亀井 広忠
 小鼓  :飯田 清一
 太鼓  :小寺 佐七
 主後見:小早川 修
 地頭  :観世 銕之丞
 
(※11月3日(祝) 横浜能楽堂
 
 かねてから念願の横浜能楽堂への遠征デビューです♪
・・・といっても、横浜には最近ちょこちょこ出没してるし、金沢よりずっと近いけどネ。
 
ここの能舞台は、もともと1875年に旧加賀藩の前田斉泰邸に建てられた後、松平頼寿邸に移築された「染井能舞台」で、関東最古の能舞台だそう。期待にたがわぬ素敵な能舞台で、やまねこは いろんなところで金沢を思い出してしまったのだけど、それはまた別に。
 
 解説(西野春雄)では、やっぱりというか、1976年に観世寿夫の「砧」がパリ公演で好評を博したときのエピソードが話題に上り、「観世寿夫著作集第4巻」(←やまねこも持ってるよん。へへん)の一節が読み上げられました。フランスにも、砧を打つ風習のある地域があるのだそうです。個人的には、風習の類似以前に文化の受容性などの点で、日本人とフランス人は相通じる部分があるんじゃないかと思うのだけど、それはまた別の話に。浅見真州もこの公演に地謡として参加しています。
 
 
「砧」
 やまねこは、時間のある限り予習していくのですが、今回ほど実際に観て初めて「腑に落ちた」舞台はなかったような気がする。「砧」のような、時代や国を超えた人間の心情の奥深さを描いた曲は、浅見真州の真骨頂といっていいかも。
 
 まず印象的だったのは、橋掛かりが、「筑紫と京」「この世とあの世」「夫と妻の心」を隔て(または繋ぐ)「境界」としての存在感を際立たせていたこと。
 お幕が上がって橋掛かりへ物憂げに姿を現すシテは、思い詰めているというよりは、不安と不信で紡ぎあげられた繭の中に、「不在の夫」と一緒にどっぷりと籠ってしまっているような感じ。京から夫が遣わした侍女・夕霧に対しても、(夫の様子を聞くこともなく)開口一番、三年もの間捨て置かれた恨みをぶつける。三年の間に京の水に洗われてすっかり垢抜けた若い女の美しさが、北の方の胸をえぐります・・・といっても、シテの装束の方がもっと渋く豪華で、秋草をあしらった鬱金色と藍色の段違いの美しい唐織姿。一昨年前の追善公演で銕之丞が着ていたものより藍が鮮やかでちょっとモダンな唐織でした。面は深井(たぶん)。
 
 解説などでは、夫と夕霧が実は通じていたとか、北の方と夕霧の微妙な関係がウンヌンとか書いてあるものもあるけど、この舞台ではそうした要素にはあまりふれず、あくまで北の方の心情に迫っていこうとしていたようです。
 三年近く便り寄こせなかったのは(慣れない京で)訴訟に追われていたからだ、という夕霧の弁護も耳を素通りしていくように、脇正面を向いてぼんやりと佇む北の方。面をわずかに上に向けただけに見えるシテの視線の先には(見所が消えて)、酷薄なまでに美しく澄んだ秋の夜空が広がっている。シテの目線や体の向きひとつで、空気が冷たく澄みわたり織女と牽牛が逢うともいわれる夜空の無限の広がり、その中にたった一人(彼女の世界の中では)佇む北の方の孤独が舞台の上に浮かびあがってくる。
(この場面の地謡は、肝心なところでバラけていて、正直しっかりしろよって感じだったのですが。。)
 蘇武の妻が遠く離れた夫に向けて砧を打ったという故事に倣って、砧を扇で打つ場面がハイライトではあるのですが、浅見真州の舞台はそこに至るまでの細かな積み重ねが緩やかな上昇曲線を描くように仕上げられているという印象で、全部が見どころといってもいいくらい目が離せない。砧を打つことで、行き場を失った北の方の想いが頂点に達した直後に、「暮れの下向もできなくなった」という夕霧の言葉で、彼女をかろうじて支えていた希望の糸がぷつりと断ち切られる瞬間とか。
まさに糸が切れた人形のように膝から体を落としたシテ。夕霧に支えられるように橋掛かりに進み、二の松で夕霧の手を離れて一人力ない運びで幕の奥の冥府に消えていくシテ。
 「隅田川」「弱法師」「俊寛」もそうだけど、浅見真州は、はかない希望でかろうじて立っていた主人公が、その望みを断ち切られる瞬間に見せる姿が凄い。
 
 後場、北の方の訃報を知った夫はとるものもとりあえず下向します。正先に据えられた砧を、痛ましげに見つめる夫。森常好の夫は、イイ人なんだけど奥さんや恋人への信頼感につい甘えちゃって、フォローが後手にまわって(しかもズレてる)こんなことに・・・いるよね、こういうタイプ。って感じの旦那さんです(たぶん)。
砧を手向けて梓にかける場面の小鼓が、「葵上」に似てちょっと呪術的な打ち方です。はたして冥府からの通い路にふらふらと誘い出されるように現れた北の方の亡霊は、三の松のあたりでしばし佇み、やがて一歩一歩ゆっくりと近づいてきます。この装束が、金の縞に萩蜘蛛の巣文様を描いた白地の縫箔を壺折に着付けたもので、シテが動くたびに金の縞がまるで燐光のように見える。面は屍を思わせる真っ白い「痩女」。
 シテの抑えた謡い方は、この地獄での責め苦を訴える場面では凄みがあり、夫はその姿の前に言葉もなく、ただすこしずつ体を妻の方に向けていきます。今となっては、もう彼女の訴えを黙って聞くしかないという感じ。
 およそ救いのない苦しみの頂点で、砧の音を耳にした蘇武が妻への文を鳥の足に結わえて放ったという故事を地謡が謡います。ここで初めて視線を合わせる妻と夫。
私もお前を忘れたことはなかった、だから暮れに帰ると遣いを寄こしたのだ、と夫。
どうして貴方には私の砧の音が聴えなかったのか、と詰め寄り扇を打ちつける妻。
 以前、「砧」を観たときには唐突に成仏しちゃった印象があったのですが、今回はこの場面で謡の詞章と演者の動きがぴたりと合致して、「あ、そーか。だから成仏できたんだ!」と腑に落ちました。三年の不在ののちに、死に隔てられた夫と妻はここで初めて向き合えた。妻は夫の心情にようやくふれたから成仏できたんだな、と。
 
 能一番だけのシンプルな番組だったのが、かえって心地よい充実感をもたらした公演。第二部「玉井」も浅見真州ならバッチリ魅せただろうとは思うけど、私にはこの「砧」だけで充分すぎるほどでした。やはり大曲は名人の舞台で観るものですね。