故小早川泰士二十三回忌追善能

舞囃子「天鼓」 
 小早川 康充
 
一調「鐘之段」 
 浅見 真州
 幸 正悟
 
能「卒塔婆小町」
 シテ   小早川 修
 ワキ   宝生 閑
 ワキツレ 大日向 寛
 笛    一噌 仙幸
 小鼓   大倉 源次郎
 大鼓   亀井 忠雄
 後見  野村 四郎   浅見 滋一
 地頭  山本 順之
 
狂言「鈍太郎」
 シテ  野村 又三郎
 アド  野口 隆行  奥津 健太郎
 
独吟「放下僧」
 浅見 真高
 
舞囃子「松風 戯之舞」
 観世 清和
 
仕舞
 「弱法師」  観世 芳伸
 「江口」   関根 祥六
 「隅田川」  野村 四郎
 「融」     山階 彌右衛門
 
能「石橋」
 シテ  小早川 泰輝
 ワキ  殿田 謙吉
 笛   藤田 貴寛
 小鼓  成田 達志
 大鼓  亀井 広忠
 太鼓  観世 元伯
 後見  浅見 真州  武田 尚浩
 地頭  武田 志房
 
(※4月14日(日) 観世能楽堂
 
 
 小早川さんのお祖父様の追善能に行ってきました。もともと熊本の細川家に仕える和泉流狂言方だったのがシテ方観世流に転向された方なのだそう。
 
 この日のトップバッターは、次男坊の康充くんの舞囃子。引っぱりだこの子方だった彼もこの春高校生で、お兄ちゃんに似て背の高い小顔ちゃんに。子方卒業後も何度か彼の仕舞を見てるけど、徐々に声が低くなっていくようにナチュラルに声変りをスルーしたみたい。舞台度胸は相変わらずなのは大したものです。
 
 
卒塔婆小町」
 やまねこ、この曲は銕仙会(系の自演会)で過去2回観ています。
 老いさらばえて乞丐人(こつがいにん)に落ちぶれた小町に深草少将の亡霊が憑りついて(?)、物狂いの様を見せる・・・というこの曲、観る方にとってはワキ(高野山の僧)と小町による、卒塔婆をめぐっての仏教問答が最大の難所で、やまねこ いつもここで頭がボーっとなってしまい、小町狂乱の場面で我に返る・・・ってパターンでした。三島由紀夫の「近代能楽集」でも有名な曲だけに、ともするとこの曲のテーマである、ワキ(高野山の僧)との仏教問答をすっ飛ばして、「三島の逆輸入バージョン」的な、安易なとらえ方をしかねないと思い、今回は小早川さん主催の謡音読会でレクチャー受けて予習してきました。まあ、それはもう目からウロコがバリバリ剥がれてくるような内容だったけど、それはまた別の記事で。
 
 大抵の曲では、ワキが舞台の情景描写を謡いあげるのだけど、「卒塔婆小町」では、シテはワキがいないがらんとした舞台に、いきなり登場しなくてはいけない(演出によって異同があるようですが)。ただ、大小が最低限の背景を用意してくれるだけなのだ。とはいえ、忠雄&源次郎の鉄壁コンビは、草木もまばらな春の荒野の夜を、風の鳴る音や冷たい夜露が墓石の上に滴る音を思わせる、しーーんと張りつめた音を繰り出していく。
 
 その薄闇の帳が上がって、ようやく年老いた小町が姿を現す。もう息をしているだけでも苦しいといった風情で、お幕から現れてすぐに杖にすがって休息してしまう。
黒い塗笠、やわらかな金の摺箔に水藻のような深い緑色の縒水衣を重ねて、落ちぶれたといってもどこかシックな装い。銕仙会テイストかな?体の輪郭がどこかしっかりしていて、実際の若さがどうしても出てしまうのだけど、杖の使い方などは非常に繊細な感じだ。
 一の松あたりで抑制のきいた声で、年老いた境涯を謡い出すのだけど、どんなお役を演じようと謡い方が変わろうと、今まで聴いてきた小早川さんとは明らかに違う謡いかたと声に、おやっと思う。抑制がきいていながら、どこかやわらかく微かになまめいた気配さえ感じられる。やがて疲れたから、どれひと休み・・・と朽木(実は卒塔婆)に腰掛ようと そろそろと床の上に腰を下ろす様子、手が細かく震えで杖や笠がカタカタいうのが、本物の高齢者のようだ。シテは写実と観念のギリギリの境で、小町の姿を作り上げていく。
 
 そこへ高野山から下りてきた閑さんが登場。見とがめて注意するといっても、「もう、しょうがない婆さんだな~」とやわらかく諭すような口調だ。議論に応じる小町は最初は抑え目だったのが、自分の議論ペースに閑さんが乗ってくるにつれ、だんだん高く明瞭な謡いかたに。この議論の場面、雲の切れ目からほんの一瞬、月が顔を表すように老いた小町の面に華やかな驕慢さが横切り、刻々と小町の心が移ろっていくような。
 
 恐れ入った僧がひれ伏し、シテは私こそ誰あろう小野小町の成れの果て・・・と名乗るものの、ワキとワキツレが昔の自分の美しさを賞賛するのに続いて現在の境遇を訊ねるくだりで、だんだん絶望と苦悶の色を見せて、姿が歪んでいくような様子に圧倒された。それにしてもこの問答、なんとも残酷な会話である。過去が華やかであるほど、現在の老いや困窮を何乗にも増して彼女を苦しめるのだろうか。
 体の奥から絞り出すような「小町が許へ通はうよなう」という声は、解説では深草少将の亡霊のものとなっているけど、やはり小町自身の叫びのような気がした。
一瞬気圧されつつも、お前こそ小町ではないかしっかりなさい、というように強くたしなめる閑さん。
 
 物着でふわりと振り向いた深草少将は、生成色の地に金箔と濃紅の刺繍をほどこした、いかにも若い公達がまといそうな狩衣に烏帽子姿。自分がどんなに小町に焦がれていたか、どんなに必死で一夜二夜三夜四夜・・・と通い続けてきたか、思い詰めたような強い調子で語り出す。
・・・のですが、少将というよりはやはり小町自身の独白っぽい感じ(どこが小町なんだと聞かれても、うまく答えられないのですが。なんとなく)。
 執着していたのは少将じゃなくて小町じゃないのかな?今の、このつらい現実を生きていくには、彼女には、自分のために命を落とした少将が必要だったんじゃないのだろうか。それが決して少将への愛情からではないとしても。そんな気がした。
 
 やがて、ふっと夢から覚めたようにシテは立ち止まり、再び薄闇の中へ、静かにそろそろと歩いていく。
 どんなに美しくても、教義の本質を見通すような明晰さを持っていても、老いは誰にでも等しく訪れるし自己愛の妄執からは解放されがたい・・・。それでもこのまま生きていくしかないのだろうなあ、と思わせる後ろ姿だった。
 
 
・・・ここまで書いて疲れちゃったので、「石橋」はこの次にして、やまねこも卒塔婆でひと休みひと休み~~