「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展(横浜美術館)

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 1月26日(土)から 横浜・みなとみらいの横浜美術館で開催されている「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」初日に行ってきました。
 
 美術館に行く前に、クイーンズスクエア日揮本社へお花をお供えしてきました。
この日の午後には、アルジェリア人質事件で最後に身元が判明した方が無言の帰国を果たされました。会社の目と鼻の先の美術館で、紛争地域で命を落とした二人の写真家の企画展が初日を迎えるとは・・・。白い花で埋め尽くされた献花台を前に、言葉もありませんでした。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
 
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 今年2013年は世界でもっとも著名な写真家の一人、ロバート・キャパ(本名アンドレフリードマン 1913-1954)の生誕100年にあたります。しかし、「ロバート・キャパ」なる写真家がユダヤハンガリーフリードマンユダヤ系ドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルダ・ポホリレ 1910-1937)の共同制作による架空の人物であったことはあまり知られていません。
 1934年にパリで出会って意気投合して以来、「ロバート・キャパ」の共同制作者であり公私ともにパートナーの関係であった二人は、仕事が軌道に乗り始めてフリードマンがキャパにとって代わり、タローはカメラマンとして自立の道を模索し始めます。
しかしその矢先にタローはスペイン戦線で非業の死を遂げます。タローの死後も、彼女の存在はその後のキャパの活動に大きな影響を及ぼしたといわれています。
 今回の展示は、キャパの名声の陰に隠れていたタローの写真作品を日本で初めて包括的に紹介するとともに、横浜美術館所蔵のキャパの写真193点を展示し、二人の写真家の活動の軌跡を追うという意欲的な企画です。
 
展示の構成は以下の通り
 1.1936年
 2.1937年
 
 1.フリードマンからキャパへ
 2.スペイン内戦
 5.インドシナまで
 
 正直いって、時節柄あまりにタイムリーすぎるために重くなるかな~と思っていたのですが、なかなか見ごたえのある展示でした。公私ともにパートナーなんていうと、2007年のBunkamuraの企画展「モディリアーニとジャンヌの物語」みたいなドラマ仕立ての展示を連想してしまうのですが、今回はそうした男女関係にはあっさりふれるのみであくまで写真家としての二人の作品紹介に徹しており、二人の写真作品の違いもわかりやすい構成になっていて、横浜美術館の意気込みのほどが感じられました。
 
 先にも述べたように、初期の「ロバート・キャパ」名義の写真は二人の共同作業によるもので、二人のいずれが撮影したものか判別困難とされてきましたが、近年の調査でゲルダ・タローの写真作品の全容が明らかになってきたとのこと。キャパの代表作である、狙撃された瞬間の兵士の姿を捉えた「崩れ落ちる兵士」(1936)は、実はキャパではなくタローの撮影ではないかとの説もあるそうです。
 
 
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ゲルダ・タロー「海岸で訓練中の共和国軍女性兵士」 1936)
 
 恋人フリードマンが「ロバート・キャパ」として順調にキャリアを更新し始めた1936年頃、ゲルダ・タローは写真の裏面に「PHOTO TARO」とゴム印を押したことにみられるように、「写真家タロー」としての道を歩み始めます。上の写真はスペイン内戦における共和国軍女性兵士の姿をとらえたショット。男手が不足する戦時下は女性の社会進出が進んだ時代でもありました。タローが撮影した写真を掲載した当時の雑誌も並んで展示されていますが、こうした前線における女性兵士の活躍の様子はプロパガンダとしても積極的に紹介されていきます。もちろん、兵士にまじって決死の報道活動を行う女性カメラマンとてその例外ではなかったことが、この写真のスタイリッシュですらある雰囲気から感じられます。
 
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 ゲルダ・タロー「マラガからの難民たち」 1937年)
 
 第2部のキャパの写真作品を見るとなおわかりやすいですが、至近距離から被写体の瞬間の表情をとらえることを得意としたキャパに対し、タローは少し引いた位置から全体の構図をとらえる理知的な手法をとっていました。もっとも彼女の晩年、スペイン内戦が混迷の度合いを増すとともに写真にも戦場と化した市街地の焦燥感が顕著に表れるようになっていきます。特に、遺体安置所に並べられた女性たちの最期の表情も生々しいショットには(時機的なこともあるのでしょうが)、息をのむような迫力がありました。さすがにここに掲載することはできませんけれど。
 
 
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(キャパ「デンマークの学生らに向かいロシア革命の歴史を講演するレオン・トロツキーデンマークコペンハーゲン,1932年11月27日」)
 
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(キャパ「ゲルダ・タローと共和国軍兵士、コルドバ戦線、スペイン」1936年)
 
 
 キャパによる、従軍中のタローの姿をとらえたショット。
 トロツキーの演説写真にもみられるように、キャパは被写体の接近してその瞬間の表情のみならず内面までもとらえる直感的なアプローチが得意だったようで、だからこそ理知的なタローとは惹かれ合ったのでしょうか。キャパが撮影したタローのプライベートフォトは他にも数点展示されていて、二人のアパルトマンのベッドでパジャマ姿で丸くなって眠る少年のようなタロー、スミレの花束を買うタロー・・・そこには愛する女を見つめる、ただの一人の男のまなざしがあるだけ。あえて解説ではふれていませんが、残された写真が二人の関係を語っています。
 その一方で、タローは「ロバート・キャパ」から離れて「写真家ゲルダ・タロー」として自立の道を進み始めます。少し引いて見る冷静なタローだからこそ、フリードマンへの愛情とは別に、彼女はカメラマンとしての自らの行く先を模索していたのでしょうか。彼女の早すぎる死による別離がなくても、二人の関係は早晩新しい局面を迎えていたのではないかという気がします。
 
 
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(キャパ「Dデイ、オマハ・ビーチ、ノルマンディー海岸」 1944年)
 
 
 1944年6月6日、通称「Dデイ」にアメリカ軍に従軍したキャパは、銃撃戦のさなかに上陸を果たす兵士の姿を至近距離でとらえています。現像ミスによるブレでかえって戦闘の激しさが伝わってくるようです。
 
 
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(キャパ「東京」 1954年)
 
 戦場の写真が続いたので、最後に1954年にキャパが日本に招へいされた期間に撮影された、駅のホームに佇む少年の姿を紹介します。この写真を撮影した約一か月後の1954年5月25日、第一次インドシナ戦争に従軍したキャパは、地雷を踏んで41歳の短い生涯を閉じます。
 第二次大戦終結時に、ドイツ兵との間に生まれた赤ん坊を抱えたフランス女性が頭髪を丸刈りにされるリンチに遭うのを同胞の女性たちが嘲笑っている様子をとらえた写真で、戦争は憎しみの連鎖しか生まない現実を訴えたキャパ。彼の関心は生死を分ける極限状態においても、あらわれる人々の感情や生きる姿ではなかったかと思います。
 正直なところ、今回のレビューが、現実の事件に少なからず影響されているのは否定できないけれど、それだけに時代を経ても普遍性を失わないキャパとタローの写真が、ずんと響いた展示でした。