「ラファエロ展」に行ってきました!
その皮切りとなるのがラファエロ・サンツィオ(1483-1520)。その作品の貴重さゆえにヨーロッパでも展示会の開催は極めて難しいといわれています。今回の企画展はヨーロッパ以外では初となる大規模なラファエロ展。ラファエロの作品24点はヨーロッパ各地の美術館から貸し出されたもので、やまねこが生きている間にこれだけのラファエロ作品を観る機会は、まずないでしょう。
・・・とあっては、絶対、平日に休みを取って観に行くっきゃない!
展示会の構成は以下の通り。
Ⅰ 画家への一歩
-レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとの出会い
Ⅲ ローマのラファエロ
-教皇をとりこにした美
Ⅳ ラファエロの継承者たち
「天使」(1501年)
イタリア北中部のウルビーノに生まれたラファエロ。父親はウルビーノの宮廷画家で、幼い頃から一流の作品を目にする機会に恵まれるという環境に育ったラファエロは、しかし11歳の年に父親を亡くし、ペルジーノの工房で徒弟奉公を始めます。
早熟の天才ラファエロはなんと17歳(!)で工房を構え、親方として活躍。この作品は18歳の年に工房で制作されたもの。
「自画像」(1504-1506年頃)
会場に入って一番最初に目に入るのがこの若き画家の自画像。後年、「美しい女性を描くには、たくさんの美しい女性を見なければならない」な~んて格言だか都合のいい発言(笑)をしていたラファエロですが、彼自身も端正な美男子で、才能あるイケメンを女が放っておかないのは古今東西不変の現象。画面全体を暗めのトーンにして顔だけがほんのりと明るく浮かび上がったこの自画像、モテモテ街道をひた走っていたサンツィオ君の自負が顕れているかのようです。
「聖セバスティアヌス」(1501-1502年頃・板)
板絵は、下絵の線描に沿って板に細かい穴をあけ転写する技法を使っているのですが、この作品の衣服にほどこされた豪奢な金糸の刺繍部分は細かい穴がびっしり打たれているのが、至近距離(70cm)で観られるんです。それにしても、板なんて経年変化で反ってしまうのに、500年以上も(修復しているとはいえ)これだけ生き生きとした表情を保っているのには驚かされます。
「リンゴを手に持つ青年」(1504年・板)
PC画面を通すとセピアな感じですが、この画、実物はもっと色彩豊かで、ブルーグレイの丘陵を背景に、青年が身にまとった毛皮で縁どられた衣装の赤が豪奢に浮かび上がっていたのが印象的な作品です。さまざまな色合いの赤をたくさん重ねることで、衣服の浮き織や張りのある質感、豪奢な衣服が鈍く光る様子を表現しています。まさに神は細部に宿るとでもいうのでしょうか。モデルはウルビーノ公爵の養子となったフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレといわれています。
「無口な女(ラ・ムータ)」(1505-1507年頃・板)
この作品は、ダ・ヴィンチの「モナリザ」に衝撃を受けて描かれたとされ、モデルが誰なのかもわかっていないミステリアスな女性像です。刷毛でさっとはいたような眉にアーモンド形の眼、うすい唇。媚びのない視線をすっと前方に向けた気高い女性は、モナリザよりはずっと若く、クールな印象。私は「クールなモナリザ」の方が好きかな。
これまたモニターで微妙な色合いが飛んじゃっているのが残念ですが、深いモスグリーンの身ごろにくすんだレンガ色のベルベットのトリミング、微妙なグレージュまたはモカのたっぷりした袖、生成のやわらかい布で抜け感を出した、一見渋いようで絶妙なカラーコーディネートに、当時の女性のお洒落を見ることができます。
「大公の聖母」(1505-1506年・板)
そして、今回の注目作品「大公の聖母」。
カトリックの幼稚園で毎日3度の「おいのりの時間」を持っていた やまねこにとって、これこそ懐かしい「マリア様」。
ルネサンスの聖母像って威厳よりは人間らしさ、母と子の間に流れる愛情が甘美なまでに感じられるものが多いですが(←ラファエロの弟子ジュリオ・ロマーノの聖母子像なんて、市井の若いママそのものになっちゃってるし。。)、この聖母像の典雅さ、生き生きとした情愛、うっとりするような深い色彩。ライティングが絶妙だったこともあるけど、本当に教会の祭壇の前でこの絵を見ているような、そして聖母子自体がやわらかな光を放っているような・・・。この絵を観るためだけでも、休みを取って本当によかった。映画「アマデウス」で、モーツァルトの直筆譜を観ながらサリエリが恍惚とするシーンがあるのですがまさにあんな感じ。同時代の画家たちの作品も展示されていたけど、ラファエロの線描にはまさに神が宿っているとしか思えない・・・というくらい唯一無二な、気品を感じます。
「聖ステパノの殉教」(1517-1519年・タペストリー)
この作品は、メディチ家出身の教皇レオ10世の依頼を受けて、システィーナ礼拝堂の壁面装飾のために作られたタペストリー。ラファエロの下絵をもとに当時ブリュッセルの最も有力な工房で織られた450×370cmもの大作です。
いや~、よくこれだけのタペストリーをヴァチカン美術館が貸してくれたなあと感心するとともに、間近で見ても織物とは思えない精密な線描と陰影表現に当時の技術の高さに圧倒されます。やまねこ、1月の下旬に松涛美術館で、シャガールの絵をタペストリーにしたフランスのタペストリー作家の作品展を観にいっていて、輪郭の曖昧なシャガールの絵をタペストリーで表現した技術と下絵(指示書)に書かれた無数の記号に感心しましたが、16世紀の工房はいったいどんな下絵を使っていたのか。このタペストリーの下絵こそ観てみたいと思いました。
「友人のいる自画像」(1518-1520年頃・カンヴァス)
画面前景の男性は左手に刀を握り、右手で鑑賞者の方を指しており、背後の男性は鑑賞者の方をじっと見つめているこの作品、背後の男性はラファエロと認定されています。不思議なのはこの構図で、この絵の前に立った瞬間、私はベラスケスの「ラス・メナーニス」を連想したのですが、はたしてこの作品も前景の男性が指しているのはラファエロ自身の鏡像であるという説があるそうです。つまり、鑑賞者の立っている位置はまさにラファエロが立っているのと同じ位置。画と現実の世界の間に見えない鏡があって、ラファエロが現代の鑑賞者をじっと見ているような、あるいは鑑賞者も絵の一部として実は絵(の外)に描かれているような・・・。
・・・などと妄想がわいてきそうなほど、画の中のラファエロは静かながら強い視線をこちらに向けています。本当に、何度見ても目が合うんですよ~!
この作品を描き上げてまもなく、画家は熱病で37歳の若すぎる生涯を閉じます。