2013夏の九州旅行 ④阿蘇から予定変更~熊本城石垣めぐり

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 8月25日(土)。
 この日の朝、高千穂から阿蘇熊本空港に引き返し、特急バスやまびこ号に乗り換えて阿蘇に向かう予定でした。
 ・・・が、外れてほしいと念じていた天気予報が超大当たり!一応、ポンチョを用意していったやまねこでしたが、高森に着く頃にはもう豪雨で車窓は霧で真っ白。
空港から阿蘇観光情報センター(?)と中岳ロープウェイに電話で確認したところ、
「まだ空港にいらっしゃるんですよね?」と確認されたうえで、
「こちらは豪雨と霧で視界がとれない、車で来られるなら車道はともかく、土地勘のない方がその辺を歩くのはお勧めできない。バスも時間通りには来ないでしょうし」
とはっきり言われました。
 これはもう仕方ない!と、やまびこ号発車5分前にキャンセルし、急遽、熊本市行の空港バスに乗り換えました。
 
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 水前寺公園付近の道路状況。
 市電はちゃんと走ってたけど、これじゃあちこち歩き回るのもキツそうだな~。
というわけで、ひとまずホテルに荷物を預けて熊本城じっくり観光コースに決定。
 
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(熊本城公式ホームページより)
 
 熊本城はかなり広大なので、ある程度コースの目星をつけて回っても2時間はかかります。やまねこは市電で市役所前から須戸口門から入ったところ、入口にいたボランティアガイドのおじさんが見どころを丁寧に教えてくださいました。雨の中ありがとうございました。
 
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 やまねこが歩いたのは、須戸口門から石垣の間を通って天守閣・本丸御殿・宇土櫓を回る通称「石垣コース」。
 とにかく、石垣で何重にも囲まれた城の鉄壁の守りを実感させられます。
 
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 あっちも、こっちも、
 
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 もう、石垣しか見えませ~ん!
 
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 二様の石垣。
 手前の石垣と奥側の石垣は、石組みの工法の違いから年代がわかるそうです。
奥の石垣の方が石組みが緻密で、急角度で立ち上がっているのがわかりますね。
 
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 「危険!石垣を登らないでください!!」
 
・・・という看板があちこちに立てられてなくても、登ら(れ)ねーよ!と言いたくなる
超超鉄壁の石垣。
 
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 大小の天守閣。
 手前で人が集まっているのは、天守前の大井戸。現在は頑丈な金網で覆われていて覗きこむと、これまた緻密に組まれ緑色に変色した井戸の内壁と、底知れぬ深い闇がぽっかりと丸い口を開いているのが見えます。
 この井戸、金網越しに覗いたときに、なんかすっごくイヤ~な気分がしたんですよね・・・。それでもカメラのシャッターを切ったのですが、帰宅してPCにデータを取り込む前にもう一度画像を確認したら、なんだか手元に置きたくなくて削除してしまいました。PC画面で拡大して見たら何か写っていたかもしれませんね。。
 
 加藤清正は、朝鮮出兵での飢餓体験から補給の重要性を認識しており、熊本城内には約120もの井戸を掘らせ(深いものでは40mもあるそう)、薪にできるように成長の早いエノキやムクをたくさん植えたそうです。
 伝承によれば、築城時の機密を守るために、地鎮祭を行った山伏を殺したり、人夫を井戸に生き埋めにしたりしたそうです・・・。
 
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 さきほどとは反対側、大銀杏越しに望んだ天守閣。
 
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 大天守閣に上がってみました。
外観3層、内部6階、地下1階のどっしりとした大天守閣、中は鉄筋の階段でひたすら頂上を目指します。
 
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 波型に張り出した瓦には、オリジナルが造られた年代が刻まれています。
(元の熊本城は西南戦争で焼失しており、現行のは昭和35年に復元されたもの)
 
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 宇土櫓(重要文化財)。
 小西行長にゆかりがあるといわれるこの櫓は、五階櫓の中でも「三の天守」と呼ばれています。宇土城を移築したものではという説がありましたが、昭和初期の調査で移築の痕跡がないことが確認されています。
 
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 宇土櫓の窓。
 宇土櫓にも、鉄砲を撃てるように覗き穴台の開口部がたくさんありました。
熊本城を見ていると、築城当時の戦の苛烈さ、城の造りこそが生死を分けたといっても過言ではない状況が肌身に染みるような気がします。
 
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 外観3層内部5階地下1階の宇土櫓も、最上階に上がれるようになっているけど、写真の急こう配の梯子段を前に、あえなく撤退・・・
こういう梯子段って、往きはいいけど帰りがダメなんです。。。京都・南禅寺の高楼に上がった時に、やはり急こう配の長い梯子段で足がすくんでしまい、居合わせた男性観光客に助けてもらったという、情けない過去を持つやまねこ
 
 雷が鳴っているので、続きはまた後で~