2013夏の九州旅行 ⑤熊本城本丸御殿で文化財復元工事のお勉強

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  さて、大雨で阿蘇行きをキャンセルした分、熊本市内では時間が取れたので、
熊本城では築城技術に関する展示をゆっくり見ることができました。
 中でも、やまねこ的に収穫だったのは平成19年に復元工事が完了した本丸御殿で、いわゆる文化財建造物の修復や復元工事がどのようにして行われているのか、その一端を垣間見ることができたこと。
 
 熊本城は明治10年(1877年)の西南戦争の際、13,000の薩軍に取り囲まれ、城側の鎮台兵3400で52日間持ちこたえ撤退させていますが、一説によると西郷隆盛「おいどんな官軍と戦いばしよっとじゃなか。清正どんとしよる」と歯ぎしりしたとか。
築城240年後に鉄壁の守りが実証された熊本城は、しかしこの戦いの折、謎の失火で大小天守閣、本丸御殿を含む大部分が焼失します。
 
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 西南戦争の火災の高熱で瓦や壁土などが溶け合い固まったもの。
戦乱の中から生まれ、戦火に消えていった城を象徴する遺物です。
 
 今回取り上げる本丸御殿は藩主の居館だけでなく行政庁としての機能を併せ持つ建物で、大広間は藩主と家臣の対面の儀礼や接客が行われた、いわば武家社会の象徴的空間でもありました。平成19年に復元工事が完了し公開されていますが、それまでにかかった年数は、
 
 発掘調査に約5年
 復元基礎設計に1年半
 復元工事に6年
 
 ・・・なんと合計12年。しかし、後述するように、熊本城の場合は資料が豊富に残っていたためにスムーズに進んだそうなのです。
 
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 火災で崩れ落ちた天守閣と本丸御殿を結ぶ地下通路も復元されています。
雨で滑りやすい出入口では、武士の扮装をしたボランティアさんが「走らないでくださいね~」と誘導してくれています。
 
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 この本丸御殿、うれしいことに内部撮影OK(但しフラッシュ不可)なのです!
写真は大御台所。囲炉裏の復元には直下から発掘された石を一部使っています。
 
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 火をおこす部屋であるため、小屋裏は煙出しの窓がある吹抜けとなっており、
巨大な丸太を使った小屋組みが特徴です。
 
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 壁のしっくい塗りも、文献等による調査に基づき、可能な限りオリジナルと同じ原材料を使い、今ではほとんど使われなくなった技術で復元しています。
 
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 壁の芯となる小舞竹を組んだものの上に、四層に壁土を塗り重ねている過程がわかりやすく解説されています。
 
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 柱や梁を組んでいく過程を紹介するコーナー。
 文化財建造物の修復や復元は、「見た目だけ」元の姿に戻せばいいというものではなく、遺構の発掘や文献や古写真などの調査に基づき、修復であれば可能な限りオリジナルに使われていた木材等を使い、新たな木材を調達する場合もできる限り同じ土地の木材を使用し、当時の技術を用いるようにするそうです。
ただし、現代の法令や管理上の観点から完全なる復元ではない個所もあります(ガラス戸をつけるなど)。
 
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 築城当時は釘を使わず、このように凹凸を利用して柱と梁を組んでいたそうです。
鉄砲があった当時、釘を使わなかったのはなぜなんでしょう?コストがかかるのか、腐食など木材へのダメージを避けたのか・・・。
 自然環境が大幅に変わって当時の木材の入手も難しくなった現在では、やむなく他の産地のものや、違う木材を使うこともあるようです。
 
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 大広間「鶴の間」。
藩主と家臣たちの接見に使われた60畳もの大広間で、奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続きます。
 
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 大広間をつなぐ縁側は、総檜張り・幅5.5mの贅沢な空間です。
 
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 各広間の襖上部の欄間。
 復元作業の様子を紹介したDVDによると、熊本市内の職人さんによって復元されたものだそうです。襖の金具のほとんどは、焼失時に事前に持ち出されてしまったそうで、ほとんど出土しなかったとか。・・・ということは、出火は内部犯行かしら。
 
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 若松の間。
藩主の後継者が控えている部屋だそうで、藩主のいる「昭君の間」に続いています。
 
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 藩主の接見所「昭君の間」。
本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、慶長期の特色である鉤上段(かぎじょうだん)を設け、室内は床の間や違棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。
 
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 昭君の間の天井画。
 明治期に焼失したために古写真が存在していたり、城内改築時の材木の覚書など豊富な文献資料が残っていたために復元が可能だった建物と異なり、部屋を彩る画については直接的な資料が残っていなかったために、同時代の建物の資料から類推して復元されたのだそうです。DVDでは襖に画を張る過程や、天井板をはめ込む過程の緊張感が伝わってきました。
 よく、復元された歴史的建造物や障壁画を「ピカピカしていて歴史が感じられない」という方がいますが(やまねこもそう感じるときがあるけど)、オリジナルだって最初はピカピカなはずだよね。現在修復中のアール・デコの館旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)だって、竣工当時はピカピカして派手だったかもね。
 
 この本丸御殿を一巡して感じたのは、復元した姿や工事過程を公開することで、日本が誇る土木・工芸技術を伝えていこうという意図で展示されているんだなあ~とうことでした。あと、大天守閣内部には寄付をした「一口城主」の名前がプレートで掲示されているので、そういう面もあるんでしょうね。
 やまねこ、このブログを開設したことがきっかけとなって、文化財建造物の修復に興味を持つようになり、修復工事現場を公開している寺社仏閣を見学したいな~と思っているのですが、ほとんどが団体受付しかしていないので、こういう生きた展示はすっごく面白かったです。
 熊本城では平成9年から約50年がかりでの完全復元プロジェクトが進行中で、やまねこは生きているうちに見ることはできそうだけど・・・高所恐怖症とは別の意味で楼閣には登れなくなってるだろうな~~
 
 
※参考文献 ・・・「修復の手帖3」(文化財建造物保存技術協会刊行)
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