秋の鎌倉お散歩旅 ②中世の路~亀ヶ谷切通し
「吾妻鏡」の記述によると、仁治元年(1240年)に北条泰時が山内に道を開削したという記述があり、これが亀ヶ谷坂切通しではないかといわれています。しかし、同じく山ノ内にある巨福呂坂切通しではないかともみられ、鎌倉時代にこの地区に道があった状況証拠はあるものの亀ヶ谷坂切通しである確実な証拠はないそうです。江戸時代初期の文献には亀ヶ谷坂の記述があることから、遅くともその時代までに開削された道であることは間違いないようです。
現在では舗装され、地元の方の通り道として使われています。
二年前にここを訪れたときの写真。
東京にも畠山記念美術館(港区白金台)の近くの三叉路に地蔵菩薩の祠を見つけたことがありますが、こうした地蔵菩薩は、その道が人の往来が頻繁であったことを物語るものです。
(休日には結構な人通りがある坂ですが、日暮れ時とか平日に女性が一人で歩くのはどうかな~と思います。)