鎌倉・紅葉の金沢街道を歩く①
この週末はお天気に恵まれたので、鎌倉まで紅葉を見に行ってきました。
古都鎌倉の数ある紅葉スポットの中で、今年は金沢街道を選んで。
この日のコースは以下の通り。
(所要時間:拝観・休憩時間含む約3時間)
まずは鎌倉駅前で路線バス(大宮塔行)に乗って、「岐れ路(わかれみち)」まで。
その名の通り大きなY字路の交差点のバス停から歩いてすぐ、こんな石碑が。
傍らの手作り感あふれる模造紙(!)のポスターには手書きでこんな解説が。
関取場跡
「昔はこの場所を関取場と呼んでいました。1548年、北条氏がこの場所に関所を設けて、ここを通る人から交通税を取って、そのお金で荏柄天神社の修復に当てました。その掟書が、今も荏柄天神社に残っています。その中に、「商人の麻・紙・布などの荷物は、三文、お参りの人で馬を利用している場合は十文、単に行き来をしている僧侶(お坊さん)や庶民からは関銭をとるべからず(関銭をとってはいけない)と記してあります」
滑川にかかる大御堂橋。
ゆるやかに蛇行する滑川。
文覚上人屋敷跡。
伊豆に流されていた時代に頼朝と知り合い、挙兵を勧めた文覚上人の屋敷跡。
田楽辻子(でんがくずし)のみち
「鎌倉時代に呼ばれていた小路で、路名の由来は、路ぞいの釈迦堂前に田楽師が住んでいたためと伝える。辻子は通り抜けのできる小路のことで、十字路を辻という。「吾妻鏡」などの田楽にまつわる記事に基づいて現在の道筋をたどると、筋替橋を起点として宝戒寺裏から滑川を渡り、大御堂ケ谷・釈迦堂ケ谷の入口をへて宅間ケ谷へ出て六浦と合流する小路と考えられる」
寺社と芸能が密接な関係であったことがうかがわれる、中世のみち。
こわいもの見たさで、辻子をそれて釈迦堂口切通しへ向かう。
商業・産業の拠点であった材木座・大町と六浦・金沢とを結ぶ重要な物流ルートとして、崖を穿って切り開かれた釈迦堂口切通し。鎌倉市内は観光地ということもあって中心部の渋滞が激しく、南北の移動がしづらい地形のため、この切通しはつい最近まで、地元の生活道路としても使われていました。
つい最近まで、というのは二三年前の大雨による崩落で現在は通行止めのため。
長閑な住宅地を5分ほど歩くと突然山道がぽっかりと姿を現します。
舗装路から一歩踏み出した途端、気のせいかなにやら空気が変わったような・・・。
石碑(?)の上には、むくむくしたネコがあたかも門番のように、見とがめるような目をこちらに向けています。
むくネコの脇を通り過ぎてまもなく、道の向こうに通行止めの看板が。