バリトン・マルタン

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 フランスの往年のバリトン歌手・ジェラール・スゼー(1918-2004)
 何年も前に、大好きなフォーレの作品をセレクトしたCDでその歌声を耳にした瞬間、もうすっかり彼の虜。
私の場合、理屈抜きで本当に直観的に「好き!」になったものは、時がたっても好きのテンションが変わらずにい続けるようです。
 クラシック音楽の声楽は、私にはなんか肉食っぽい感じがして三大テノールもあまりピンとこなかったのですが、スゼーの声は「ビロードの声」と言われただけあって神経にやさしく透明感のある甘美な声で、いつ聴いてもうっとりしてしまいます。先日、全盛期の舞台を収録した輸入盤DVDを密林でようやく見つけて買っちゃいました♪
 この「THE ART OF Gerard Souzay」は1955年および1966年に収録されたもので、今まで音声(CD)でしか知らなかった、スゼー37歳・46歳の全盛期のパフォーマンスを堪能できる内容です。中身はこんな感じ↓
 
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メフィストフェレスになったり。
 
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隈取りがスゴイ。
 
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オルフェウスというか王子だったり
 
 二次元の映像は「資料」でしかない、という意見もあるけど、それでも音声だけでなくパフォーマンスを通じて舞台の雰囲気をすこしでも感じ取れたほうがいい。
スゼーが歌いながら音楽の中に入り込んでいるのが、とってもよくわかる。
 
グルック:歌劇「オルフェウスとエウリディーチェ」よりアリア
(注:視聴する際は動画内の「YouTubeで見る」をクリックしてください)
 
 中でも私が一番好きなのがこのアリア。楽曲そのものも典雅でいいけど、30代のスゼーがこんなに凛々しくて素敵な殿方だとは・・・ギリシア神話に題材をとった「オルフェウス」はもともとカストラートを想定して作られたといわれており、現在ではカウンターテナーまたはメゾソプラノで歌われることが多いのですが、バリトンだと大人の男の深みというか色気が出ますね。ギリシア神話風コスチュームにせず、王子っぽいシルクのブラウスと黒い細身のパンツをまとうことで、スゼーの均整のとれたプロポーションと立ち姿の美しさが際立ちます愛する妻を失ったオルフェウスの絶望を、やや高めのバリトンで切々と歌いあげる声がなんとも甘美で、ロマンティック。
 
 ところで、動画をお聴きになって、バリトンにしては音域が高いんじゃないかとお気づきになった方もいるかと思いますが、こういうややテノールに近いバリトンはフランス声楽界固有のバリトンマルタンというのだそうです。やや鼻にかかった(フランス語はそもそも鼻にかかっているけど)なめらかな柔らかい声が特徴で、ドビュッシーフォーレなどのフランスの声楽曲ではあきらかにバリトンマルタンを想定して書かれたと思われる曲が少なくありません。
 
 下記のカミーユ・モラーヌの歌唱では、その特徴がわかりやすいかと思います。
 
カミーユ・モラーヌ :フォーレ「夢のあとで」他
 
 
 バリトンマルタンの代名詞ともいわれたモラーヌの歌声は、「普通のバリトン」を聴き慣れた耳にはどう聴いても「クリーミーテノール」にしか聴こえない・・・(^◇^;)
 スゼーもテノールからバリトンに転向しているのですが、低音域がしっかり響く分、(あくまで好みの問題ですが)私はスゼーの方がしっくりくるかも・・・。
 
ジェラール・スゼー(独唱):フォーレ「レクイエム」よりリベラ・メ
 
 同じフォーレの、こちらは有名な「レクイエム」(指揮:アンセルメ)。
 クラシック音楽好きに「自分のお葬式で流してほしい曲」というアンケートを取ったら、1位か2位は間違いないこの曲の「リベラ・メ」もバリトンマルタンがハマる一節。
 この録音(1955年)での冒頭のスゼーの独唱は、私もこの声で天国に送ってほしいくらい素晴らしい。スゼーが全身全霊をこめてこの鎮魂歌を歌っているのが、60年近い時を経てモノラル録音の向こうから伝わってくるんですよね。
 ・・・が!この録音には致命的な欠陥があって、1:34以降の合唱で地上に引き戻されます(笑)。特に3:34~の「リベラ・メ」の主題をユニゾンで歌う箇所はシロウトの集団としか思えないほどコーラスが不揃いで稚拙さが耳につく(涙)。現在の日本の合唱団の方がこれより絶対に数段上手い。・・・のですが、慣れというのはオソロシイもので、シロウト集団ながら熱のこもった合唱を聴いているうちに、素朴な信仰の発露に聴こえてきちゃったりするのですね。
 
 週末はまた雪に閉じこめられそうだけど、スゼーの声に包まれて過ごすのだ♪