九州への旅 ①長崎港・軍艦島クルーズその1

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 春先に数日だけ業務の隙間が空くと知って、真っ先に浮かんだ場所が軍艦島
 昨年、世界遺産へ推薦された九州の産業遺産の中にリストアップされたこと、島への上陸可能日数が年間100日程度ということで、比較的上陸率の高いこの時期を逃したら、いつ訪れることができるかわからないと思ったのです。
 現在、軍艦島クルーズを運営しているのは5社(内、上陸コースがあるのは4社)。各社特色がある中でいろいろと検討した結果、船酔いしにくそうな、つまり一番船体の大きな「やまさ海運」に決めました。
 
 軍艦島クルーズについてはすでにたくさんのブログがアップされており、最初から軍艦島にフォーカスしている記事が多いのですが、私は自分の眼に映った順に書くことで興奮を再現したいと思います。なので、軍艦島到着までしばらくお待ちあれ。
 
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 先達ブロガーのアドバイスに従って早めに並んで二階右舷側をゲット
 長崎港を出発してまもなく、三菱重工業(株)長崎造船所本工場が見えてきます。
 
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 1909年(明治42年)完成のジャイアント・カンチレバークレーン。もちろん現役!
 当時、日本の造船業は総合産業であり、三菱は日本の重要産業と位置付けられた造船業に多大な投資を行い、長崎造船所では船の建造だけでなく、舶用の主機や発電所の原動機となるレシプロ蒸気機関、蒸気タービン、ディーゼル機関、ボイラ等の大型機械も数多く製造しました。
 
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 巨大な4連タンクがひときわ目を引く大型LPG輸送船。
 
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 三菱が9年ぶりの建造に着手中の、世界最大のクルーズ客船会社・カーニバル社傘下の伊コスタ社の客船二隻のうち一隻。
 先日横浜に入港したクイーンエリザベス号より大きいかも。ここまで巨大だと船というよりほとんど大型マンションといった趣です。
 世界最先端の環境技術の粋を集めて建造する次世代クルーズ客船の、引き渡しはそれぞれ2015年3月、2016年3月の予定。長崎から出港する姿を観てみたい!
 
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 この本工場ではかつて戦艦「武蔵」も建造されており、当時は周囲から見えないように白い覆いで囲って建造していたのだそうです。
 
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 長崎造船所の周囲には中小の鉱業所や船舶の修理場が並んでいます。
 
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 長崎造船所本工場の対岸にて。小菅修船跡付近の修理風景。
 
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 奥の方に船を修理するときに使うスロープが見えますね。
 
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 長崎港の出入り口にかかる女神大橋
 船舶の大型化にともない建造された橋げたの高さは65m。
横浜のベイブリッジの高さが55mで、先日クイーンエリザベス号(56m)が入港する際に干潮を待ってギリギリ通れたと報道されていましたが、ここならOKでしょう。
 
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 長崎港の外側に位置する分、本工場よりずいぶん広々としています。
 
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 今回は望遠レンズが威力を発揮♪
漁船の向こうに見える島は高鉾島。かつて異国からの貿易船は、この島を長崎港に入る際の目印としていました。
 江戸時代に禁教令が出されていた頃、海を渡らないと行けない高鉾島には隠れ切支丹たちが身を潜めていましたが、ここで多くの信徒が志なかばで殉教し、その遺体が海に投げ込まれたという悲しい歴史がある島でもあります。
 
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 高鉾島のすぐ隣の島の岬に、海原に向かって立っているマリア様の姿が見えてきました。
 
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 この島は「神の島」。白いレンガ造りの教会は島のシンボルでもある「神の島教会」です。この島も50年ほど前までは海を渡らないと行けなかったので、隠れ切支丹たちが生活していました。
 隠れ切支丹の島というと、五島列島などの離島を連想しますが、長崎港(=奉行所)からこんな目と鼻の先のような島にも信徒たちが隠れ住んでいたのですね。
 
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 長崎港を出発して30分近く。このあたりは外海のために波が高く、さすがに横揺れを感じるようになってきた頃、高島が見えてきました。軍艦島までもうすぐ!
 明治維新後の近代化や第一次世界大戦などで、高島炭鉱はドル箱的な存在でしたが、昭和61年に閉山。大正時代には約2.5㎞離れた軍艦島まで、高島から海底送電線が引かれて電気が供給されていたそうです。
 
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 高島を過ぎて中ノ島(手前)にさしかかる頃・・・あ!あの島影は!!
 
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 まちがいない、端島軍艦島)です。
 
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 だんだん近づいてきた。
 
 
 
(続きはCM晩ごはんの後で♪)