九州への旅  ②長崎港・軍艦島クルーズその2 上陸篇

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 端島(通称:軍艦島)は、長崎港から南西19kmの海上に浮かぶ面積6haほどの小さな島です。
 もとは小さな岩礁でしかなかったこの島は、採掘技術の発達とともに、島の周辺を埋め立てながら護岸堤防の拡張をくりかえし、現在の島の形状になりました。 端島では良質の石炭が採掘されたために、主に八幡製鉄所に製鉄用原料炭として供給されました。
 しかし、石炭の島として一時代を築いた後、昭和30年代後半からエネルギー革命により合理化が進み、1974(昭和49)年閉山し無人島となりました。
 
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 閉山後は、廃墟ブームで個人的に上陸(もちろん不法侵入です)する人たちが後を絶たなかったのですが、2008年に長崎市が島の一部を観光用に公開するとともに島の監視が強化され、現在では一般人が観光クルーズ以外に上陸するのはほぼ不可能だそうです。万一上陸できたとしても、世界遺産登録に向けて近々、島内に監視カメラが設置されるのだとか。
 監視強化の噂を裏付けるように、最初の写真でも、島の周囲には監視船らしき船がちらほらと(釣り船も若干あり)。
 
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 中央の屋根つきの建物は「端島小中学校」(1958年竣工)、その奥は島内最大の建物・「報国寮」(1945~1958年)。
 
 端島小中学校は7階建、お隣の報国寮旧棟の最上階(9階)にいたっては、なんと、保育園があったそうです。エレベーターなんてない高層ビルの屋上に保育園とは、軍艦島がいかに人口過密であったかを物語っています。ちなみに、最盛期には屋上保育園の園児は220人もいたそうです!現在では考えられない保育環境ですが、あの当時子供が三人以上いた家庭のお母さんたちは、どうやって子どもたちを送り迎えしていたのでしょう。
 
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 下船直前に護岸を望む。
 
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 護岸のいたるところに、排水口が設けられています。
 
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 かつて使われていた桟橋を補修したドルフィン桟橋。
 
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 乗船前には「誓約書」なるものを書かされるほか、さまざまな注意事項があって、その中に「ピンヒール、ハイヒール、サンダル、草履は上陸禁止」なる条項があるのですが、そりゃそうだよねと納得の現況。
 
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 桟橋横のトンネルを抜けて最初に目に入ってくる、ベルトコンベアの支柱。
  ここは選炭された製品炭が船積みされて出荷する前に、一時的に蓄えられていた場所です。
 
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 端島の子どもたちは、毎日、この支柱の上を真っ黒な石炭が音を立てて運ばれていく光景を見ながら授業を受けていたのでしょうね。
 
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 第一見学コースのすぐ目の前の崖の上に建つ、3号棟(幹部職員住宅・1959年)。
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 海風をまともに受けるために崩壊が相当進んでいて、コンクリートの外壁が恐ろしいことになっています。これ崩落したら・・・第一見学コースのすぐ下に落ちるよ
 
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 外壁どころか建物全体が歪んでいるような・・・この角度からだと各部屋の間取りが何となく見えますね。和室だったのがわかります。
 
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 上の写真を撮っている間、実はご覧のようにガイドさんによる軍艦島の説明がありました。が、なにしろ上陸時間はわずか40分程度。終始マジメに説明を聞いていたら写真も撮れなくなってしまうため、説明の合間にパシパシ撮る人だらけ。
 やまねこも、お宝のミラーレス一眼(望遠レンズ装着)に加えて、サブ機としてLumixのコンデジをコートのポケットに忍ばせてました。どーだ、この念の入れよう(笑)
 
 
(上陸篇はまだ続きま~す)