第二回 喜多流特別公演

能「松風」
 シテ  友枝昭世
 ツレ  狩野了一
 ワキ  宝生欣哉
 アイ  山本則孝
 笛   松田弘
 小鼓  鵜澤洋太郎
 大鼓  國川純
 後見  中村邦生  内田安信
 地頭  香川清嗣
 
仕舞
  「田村」    佐藤章雄
  「花筺」    香川清嗣
  「鞍馬天狗」 谷大作
 
狂言「清水」
 シテ  山本則重
 アド  山本則秀
 
能「土蜘蛛」
 シテ       塩津哲生
 ツレ(源頼光) 金子敬一郎
 ツレ(胡蝶)   佐々木多門
 ツレ(太刀持)  友枝真也
 ワキ        森常好
 ワキツレ     舘田善博   森常太郎
 アイ        山本凛太郎
 笛        藤田貴寛
 小鼓      大倉源次郎
 大鼓      佃良太郎
 太鼓      観世元伯
 後見      友枝雄人 粟谷辰三 
 地頭      出雲康雅
 
(※4月27日(日) 十四世喜多六平太記念能楽堂
 
 
 今回は、久々のやまねこファミリーde観能。 
 やまねこの母は、新潟市りゅーとぴあ能楽堂で開催されている喜多流能楽講座に通っているのですが、昨年の「塩津哲生の能楽講座」に妹を連れて行ったところ、「山姥」を観た妹も塩津さんの舞台を観たいと言いだし、じゃあ今でしょ!と、ソッコーでチケットを手配した母から、
「あ、ついでにやまねこの分も買っておいたからね。行くでしょ?」
との電話が。実はこの日は別の予定を目論んでいたのですが、昭世の松風・・・・・・。
「あっ、ありがとう~~~(涙目)」
 
 やまねこの経験上、興味を持ち始めた時期にどんな舞台を観るかは結構重要なポイントなんじゃないかと思っていて、その意味では妹に今回の特別公演はぜひ観て欲しかったのね。「松風」「土蜘蛛」とメジャーな曲だし、狂言だけでなく仕舞も入れた喜多の番組構成はオーソドックスだし。なによりまっさらなビギナーだからこそ、昭世の「松風」も観て欲しい。
 
 
「松風」
 上演頻度の高い曲なだけに、やまねこも観世&宝生で何度も観ているけど、喜多では初めて。
日経能での昭世VS真州の立合能で流儀による違いを感じることはあったけど、今回はメジャーな曲だけにそれがすごくわかりやすかったというか、喜多カラー?みたいなものが観られた気が。
 喜多流では小面を大切にしているというけれど、松風も(距離があって確信できないけど多分)小面。装束が地味な渋い喜多では、どちらが松風かぱっと見ではわかりづらく、よ~~く見ると摺箔のグレードに差があるくらいで、それより面を見た方がわかりやすい。この日の松風は可憐さと臈長けた愁いを感じさせる、いいお顔をしていました。ツレはそろそろ中堅の域にさしかかった狩野了一。橋がかりで向かい合っての連吟はひとつの声のようにぴたりと溶け合って、二人の波長がこちらにまで伝わってくるような身体感覚を覚えます。
 観世流だとこの後の潮汲み車の場面で姉妹一緒に、並んで全く同じ型で潮汲みをするのですが、喜多は松風一人が潮を汲み、車を曳くのですね。で、少し離れて控えている村雨と肉体労働のつらさをかこつ。その後の昔語りの場面でもそうなのですが、とにかく全体を通じて、村雨の扱いがまったく違うのです。観世で松風に村雨が寄り添って謡と型をシンクロさせることで、松風と村雨の相似性(と相違)を強調しているのに対して、喜多では村雨は終始シテの背後に控えながら連吟や掛け合いで、つまり謡だけでシテとの相似性をみせているといったところか。
この演出、観世のイメージが強かった&了一が大人の女の雰囲気で魅せただけに、「かわいそーに、年の離れたお姉ちゃんに仕事も彼氏も持ってかれちゃったのね。これって主従関係じゃん!」と思って観ていたのですが、今書いていて、村雨の冷静さ・現実を受け入れている彼女の立ち位置が、松風の狂気を際立たせていたのかもと思えてきました。松風と村雨は同じ一人の女の二面性かも、なんて思わせちゃう演劇的な観世流の方が、もしかしたら後の時代にできた型なのかなとさえ思えてきた。いずれにしても、ツレに力量が要求されることは変わりなさそうですが。
 
 この日の松風は、いうなれば静かに狂っていく女。序盤では抑制の効いた謡いかたをしていたのですが、塩屋の場面で旅僧が「さっき松風村雨の旧跡を弔ってきた」と言うあたりから、彼女の中の時間軸が行平との物語に戻っていく様子が、静かにぞくぞくさせられる。形見の衣を愛おしげに見つめては思いを断ち切ろうと衣を遠ざけ、それでもやっぱり捨てられない、せめてもう一目・・・と衣を再び引き寄せる型の繰り返しが、今まで観た中で一番リアル。「形見さえなければ忘れられたのに、どうしても捨てられなかった」という謡どおり、行平が去ってから想いを絶とうとしてきたけれどどうしても諦められず、待ち続けた松風の来し方が凝縮されている型が切ない。。
こういうときヘタに吹っ切ろうとするのって逆効果なのかも。衣を何度も何度も遠ざけようとしているうちに、想いがだんだん激してきた松風はついに衣を抱きしめたまま泣き伏してしまいます。
この場面、恋慕が狂気に昂じていく様子を静かに表現した昭世のポテンシャルの高さは凄い。
 びっくりしたのは、舞台中央で泣き伏したままのシテに後見二人が寄ってきて、その場で物着を始めたこと。しつけ糸を舞台の真ん中でパチンパチンと切りながら装束を着けちゃうのです。松風の恋慕のピークに達したところで、見所のテンションも保ったまま続く松の場面に持っていこうという意図なのでしょうか。
 行平の幻(松)に向かって立ち上がる松風を、それまで少し離れて囃子方の前で控えていた村雨が つっ、と立ち上がって引き留める。(立った瞬間、両者の実年齢が出た気が。。)
この場面の村雨って演者によって性格が全然違って見える。了一の村雨は現実を受け入れて冷静な感じ。常に姉より引いた立場なだけに結果的に自分の軸を失わなかったというような。シテが静かに切ない松風だった分、両者のバランスがよくとれてたかも。
 そして愛しい人の衣をまとって恋慕の舞を舞うシテは、さすがに端正で流れるように美しかった。ここで「私が松風よ!」的に熱演しちゃうシテもいるけど(←誰?)、やはり恋は声高に語るもんじゃないな~と思う。形見の衣~松に向かう場面で感情をスパークさせた後だからこそ、松を抱きしめるところも優しいけどむしろあっさりめ。いいな。久しぶりに切なくなっちゃう舞台でした。