カラヴァッジョ展

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 何年に一度かは、予想だにしていない衝撃を受ける画家に出会うものです。普段意識している自分の好みとは必ずしも相容れないのに、向こうの方から五感に訴えかけてくるような。
 私にとっては、直近では2014年春の「バルテュス展」(東京都美術館)がそんな美術展でしたが、このカラヴァッジョ展もまた、あまりにも強烈に、心に焼きつきました。はっきりいって東京都美術館の「ボッティチェリ展」よりよかったです!きっと、時間を割いても再訪するでしょう。

 カラヴァッジョ(1579-1610)の現存する作品は60点程度で、移動不可能な作品も多数あるといわれています。今回の展示ではカラヴァッジョ作品を10数点と、彼の影響を受けたカラヴァジェスキといわれる画家たちの作品を展示しています。
…これが非常に充実した展示で、バロック絵画の立役者として、西洋美術史の「光と闇」の表現に重要な役割を果たしたカラヴァッジョの作品をじっくり味わえる内容でした。後進のカラヴァジェスキたちのレベルも高く、ハズレなしです。
 構成は「五感」「静物」「光」「斬首」「聖母と聖人の新たな図像」など。

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ナルキッソス」1599頃

 「五感」のコーナーでは、ポスターにも使われた「トカゲに噛まれる少年」が展示されており、突然トカゲに噛まれた少年の痛み、驚き、戸惑い、恐怖などの感情が一瞬のうちに少年の表情や手の動きに現れているのをとらえた作品。こうした「わかりやすさ」は他の画家の作品にも、カニとかエビに噛まれる絵で取り入れられています。意外性と恐怖感だったらカニよりトカゲですかね、やっぱり…。
 でも、このコーナーの圧巻は「ナルキッソス」でした。実際にはもっと色彩がはっきりしていて、スポットライトの中の一人舞台を観ているような気がするんです。画面は静かなのにナルキッソスの情念の昂りが伝わってくるような…。色調をあえて抑えつつ、衣装の織りや水面と実像の境目などは高度な技術が見てとれる。水鏡の像が破れる直前の、緊張感が漲る一瞬。

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「果物籠を持つ少年」1593-1594頃
 
 この絵のモデル、若き日のトニー・カーティスに似てると思ったのは私だけでしょうか?キューブリックの「スパルタカス」に出てたときの。
 というのはさておき、16世紀半ばには静物画は既にジャンルとしては確立していており、人物画より低い位置にとらえられていたんだそうです。画像だとわかりづらいですが、カラヴァッジョは「あえて」果物籠を中心に描き、人物をすこしぼやかして描いています。新しい静物画ということでしょうか。
実物を見ると、まるで単焦点レンズで微妙な絞り値で撮影したような感覚なんです。


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バッカス」1597-98頃

 「静物」のコーナーで一番強烈だったのがこれ。人物と生物が完全に対等な関係で描かれています。とにかく描写力がすごい。黒髪に絡まったブドウの冠、グラスの質感…。この絵を観た後、どうしても赤ワイン(それもフルボディ)が飲みたくなって、帰りに酒屋さんに飛び込んでしまいました(笑)
 解説には、バッカスは酒で満たされた杯だけではなく、自分自身をも差し出そうとしているかのようだ、と書いてありましたが、キャンバスを通して観るものを誘い込むかのようです。
左手で杯を持っていることから、モデルはカラヴァッジョ本人という説もあります。当時はお金がない画家は鏡に映した自分の姿をモデルにすることもあったそうですが、この絵は経済的事情だけでなく、画家の自己顕示欲を感じさせます(実際にはかなり人相が悪かったことが、他の画家による肖像画で確認できます笑)

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 グラスの細工、葡萄酒が満たされた表面張力のアップ。
 「ナルキッソス」もそうだけど、カラヴァッジョは「破」手前の臨界点に達した瞬間を、そのあやうさ・緊張感を、観るものに突きつけてくる。

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「エマオの晩餐」1606年

 「五感」「静物画」でもうかがわれるように、カラヴァッジョは自身の才能にものすごい自負を抱く半面、激高しやすく暴力的な面があって、たびたび傷害事件を起こしていましたが、ついにローマで殺人事件を起こして死刑判決を受けます。 逃亡先で描いたのがこの「エマオの晩餐」。
 これが(逃亡生活の中で描いたにしては)、結構大きな先品。逃亡の協力者がいたんでしょうね。「ザ・バロック絵画」というか、スポットライト的な光と闇の対比がドラマティックな作品です。まるで画面の中に光源があるような表現には追随者が大勢出て、そのかなりの部分はネーデルラント(オランダ)の画家が占めています。カラヴァジェスキたちの技量も非常に高く見ごたえがあります。この後レンブラントが登場することを考えると、なるほど!と腑に落ちる感じです。

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ラトゥール「煙草を吸う男」(富士美術館所蔵)

 カラヴァジェスキたちの光と闇の水脈は、時間が止まったかのような内的な表現を追求するラトゥールなど、独自の世界観も生み出しました。この作品が国内にあるなんて…。


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「メドゥサ」1597-98頃

 この展示では、生前のカラヴァッジョの犯罪歴を記録した公文書がたっくさん展示されていて、これだけ悪行の限りを展示される美術展というのも珍しい(笑)。罪状は今でいうところの銃刀法違反(当時のローマでは刀剣の所持は許可制だった)、暴行傷害、名誉棄損、ついには殺人罪。センテンススプリングがスクープしたところで「ついにやったか。。」と関係者全員が驚かなかったであろう人物だったのです。
 こうしたカラヴァッジョの刀剣に対する執着、暴力性は、自身をモデルに斬られた首を描いた「メドゥサ」や「ユディト」「ゴリアテの首を持つダビデ」に端的に顕れます。日本にも斬首刑はあるけど、このコーナーはもう肉食人種な世界観。
「メドゥサ」なんて、目鼻の位置を三回も描き直すほど徹底してこだわったそうです。鏡の前で絶叫しながら(?)絵筆をとっていた姿を想像すると、グロテスクです。

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 ナポリなどの逃亡先でほとぼりが冷めるのを待ったカラヴァッジョは、1610年、恩赦を求めてローマに向かう途中、熱病に斃れます。
 この「法悦」はカラヴァッジョが最期まで所持していたものといわれており、つい最近真作だと鑑定され、本展示が世界初公開だそうです。マグダラのマリアは、ローマ・ カトリック教会では「悔悛した罪の女」として位置付けられています。法王に恩赦を求めるための作品として、悔悛した画家自身と重ねて描いたものではないかということですが…。


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「エッケ・ホモ」1605年頃

 「エッケ・ホモ」(「この人を見よ」)は、キリストが捕縛された時に、無実を訴えるピラトの言葉です。去年の夏にロンドンのナショナル・ギャラリーに行って以来、西洋美術を理解する上で、キリスト教の知識は必須だと痛感しています…。
 この主題でカラヴァッジョに依頼した貴族(名前忘れた)は出来に満足できず、チゴリに同じ主題で依頼したそうで、会場にはほぼ同じ構図のカラヴァッジョvsチゴリの「エッケ・ホモ」が展示されていました。
 好みの問題だと思うけど、チゴリのキリストが苦痛と悲しみに顔を歪めて涙を流しているのに対して、カラヴァッジョのキリストは運命を受け入れるかのような静かな表情。私はカラヴァッジョの方が好きです。 

 ちなみに、カトリック教会ではプロテスタントに対抗すべく、教義をわかりやすく伝道するためのツールとして、カラヴァッジョおよびカラヴァジェスキたちによる宗教画を積極的に受け入れたのだそう。あの「フランダースの犬」で有名なルーベンスの「キリスト降架」もそういう流れでとらえると、すっごくわかりやすい例だと納得です。