多田富雄七回忌追悼公演 新作能「生死の川 -高瀬舟考」

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ご挨拶  多田 式江

新作能「生死の川 -高瀬舟考」
シテ(男の幽霊)   浅見 真州
ワキ(高瀬舟の船頭) 宝生 欣哉
アイ(鴨川下流の村人)野村 万蔵
笛   松田 弘之
大鼓  國川 純
小鼓  大倉 源次郎
太鼓  小寺 佐七
地頭  浅井 文義
(※4月21日(木)国立能楽堂


 お能を観始めて何年にもなるのに、新作能を鑑賞するのは実は初めて。チャンスは何度かあったものの、ピンとこなかったというか。この「高瀬舟」に関しては、題材が普遍性を持つテーマであること、多田富雄が浅見真州に初演を委嘱していたというので、新作能鑑賞デビューと相成ったのでした。
 「生死(しょうじ)の川」は、20年前に脳死・心臓移植をテーマにした新作能「無明の井」と同時期に一気に書かれた作品で、森鷗外の「高瀬舟」をもとに、「安楽死」をテーマにした新作能です。「高瀬舟」では兄弟間の自殺幇助であった設定を、「生死の川」では末期の乳癌に苦しむ妻の自殺を夫が幇助する設定に変えています。
 冒頭の多田夫人のご挨拶の中では、「現在では医療の進歩で癌の治療は変わっているが、認知症による(老老介護の)問題も増えております」とあったけれど、団塊の世代が介護を迎える頃には「尊厳死」「安楽死」問題はより身近なものになっているんだろうなあと思ったのでした。

 公演の一か月ほど前に、鷗外の「高瀬舟」「高瀬舟縁起」と「多田富雄新作能全集」に目を通していたのですが、鷗外と多田富雄では「安楽死」に対するスタンスが微妙に違うこと、生前の白洲正子から「生死の川」を「構成に難がある」と評されていたことから、どんな舞台になるのかな~と楽しみにしていました。

 舞台は端的にいうと「新作能全集」をよりシンプルに、ぎりぎりまで凝縮した内容。これが白洲正子の批評を受けて多田富雄が直したものなのか、浅見真州によるものかはわかりませんが、浅見真州の物語性の強い表現(人によっては説明的というかも、という多田富雄の指摘は当たっていると思う)が、もともとシンプルな構成の「高瀬舟」にハマったといえるかも。

 かつては流罪の罪人を運んでいたが、いまは物流に使われているという高瀬舟。ある夜、川岸から舟を呼ぶ声に気づいた船頭は、暗い岸辺に立つ男の姿を見つける。暗い水のような錆鉄御納戸色の水衣を着流しにした男は、小型の黒頭に塗笠を目深に被り、顔の下半分を白い布で覆った異様な姿で現れ、「のう、我をこの舟に乗せて賜り候へ」という第一声で暗い靄のような空気が橋掛かりに立ち込めたような印象。
 船頭が「これは貨物専用の船だからダメだ」と断ったのに、いつのまにか船中に乗り込んでくる男。船の作り物がないので、川岸と舟の境界が曖昧になっていて、現実の世界に異界が入り込んでいる感覚が強く出ているようです。
 ここでは能のお約束通りのやりとり。私はかつてこの舟で遠島に流された囚われ人で…と男が名乗るのに、船頭が「何の罪を犯したのか」と尋ねると、「いや囚われ人とは申せ、罪人とは申さず候」「囚われ人と罪人はどういう区別があるのか」という応酬のうちに、実は人の苦患を救わんという慈悲心から人の命を縮めたのだ、わが罪の咎のありかをただすためにここに来たのだ…と語って男は川底に姿を消すのでした。
 
 「まことにふしぎなることに我を失いて候」とワキは川べりに船を寄せて、村人(アイ)を呼び止める。このワキは異常な体験に動揺している様子が現れていて、ひとまず舟を寄せようとする行動もなんだか現代的な感じではあるな~そういやワキって異常体験してるのになんで皆冷静なんだろう~と妙なところに感心してしまった。
 アイによる、かつて貧しくも仲睦まじい若い夫婦が、妻の乳癌によって迎えた悲劇は、基本的な文言は鷗外のテクストをそのまま踏まえつつ、兄弟から三世を誓った夫婦の物語に変わったことでより哀切さを増している。万蔵の語りが萬斎かと思うほどよく似ていて、やはり血は争えないのだなあ。
 ここまで前場・間が各15分ほどでやや短い。後場をガッツリ持ってくるのだろうか…とちょっとワクワク(?)

 この舞台では、「新作能全集」のテクストでは後場で登場するツレ(妻)がカットされて、後シテだけ登場させるという大きな変更が加えられていました。
 後シテは怪士系(たぶん)の面に黒頭、茶色の地に格子模様の金箔を押した法被に褸水衣を重ねて、抹茶色の半切(おそらく)を履いて登場。「われらが罪をたださんため来たりたり。おん弔ひを止め賜へ」と、安易な(?)救済を拒否します。
 ここで「のうわれらは罪人にて候や」という問いかけは、「全集」にもあって、夫婦二人で現れるから「我ら」だと解釈していましたが、シテが一人で「われら」と言うのは解釈が変わってくるのではないか。「われら」にもっと普遍性を持たせたのではないかと思いました。
 浅見真州は決して声量が大きい能楽師ではないのだけど、謡に「気」がこもっていて、抑えた謡がグッと迫ってくる。
地謡前場ではそろそろと手探り感を感じさせるところがあったけど、後場ではシテの気魄に引かれるようにテンションが上がってました。
 クリ、サシ、クセでの末期癌の苦痛・自殺幇助に追い込まれていく夫婦の姿は、ツレを出しての再現劇にはしないで、謡のみの表現にしたことで舞台の密度、見所の集中力が増したといえるかもしれない。シテが膝を落として刃を横に引き抜き、血潮が飛び散る型以外は大きな型もなく、まさにギリギリまで切り詰めつつ語りに徹した表現でした。

 鷗外は安楽死を肯定的にとらえていた(小堀杏奴の回想録によると、四男・不律の死は医師による安楽死を鷗外が了承したらしい)のに対して、多田富雄は最後までその罪のありかを問い続ける。
 能は仏による救済を得る話が基本パターンだけど、中には「善知鳥」のように生きることそのものが罪で、その罪が循環し続ける限り救済を得られない話もある。「生死の川」は命を奪う=罪であるという大原則と、死を幇助することで苦痛から救う慈悲が拮抗して、これもやはり安易な救済(結論)を許さない。
この舞台はツレの姿を消すことで、「慈悲の行為」が視覚的に前面に出て見所側にも安易な結論を出させなかったのではないか…とも思ったのでした。