盛岡の素敵建築 岩手県立公会堂

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 盛岡での最大のお楽しみは、レトロな町あるき。
戦災に遭わなかった盛岡には戦前のモダン建築や商店、古本屋や個性的な喫茶店がいたるところに残っています。しかも観光スポットじゃないのがいい!
 私が特に好きな内丸~中の橋エリアでは、毎年GWにイベントを行っていて、岩手県立公会堂ではちょうど「中川政七商店 大日本市博覧会」開催期間中でした。公会堂の塔屋には紅白のバルーンが上がっていて、なんだか昭和のデパートみたい。
 2年前の夏、この公会堂を初めて見た時「どこかで見たな…」的な妙なデジャヴュ感を覚えたのですが、調べてみたら、設計者は日比谷公会堂や大隈講堂を設計した佐藤功一でした。なるほど。

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 スクラッチタイル貼りの外観や正面のデザインが似てますね。


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(2014年8月撮影)

 大正12年(1923年)、皇太子であられた昭和天皇陛下のご成婚を記念し岩手県議会で公会堂の建設が発議されました。
  当時はまさに大正デモクラシーの高揚期で大正14年(1925年)には普通選挙法が成立し、大衆娯楽にも弁士が熱弁を振るう無声映画が登場するなどの時代でした。そのような時代の市民生活の中では人々の集う場所が求められていました。
  創建時の公会堂は、県会議事堂・大ホール・西洋料理店・皇族方等の宿泊所と4つの用途を備えていました。
  内丸通り(現・中央通り)に面した正面入口の左側には県会議事堂、右側の地下1階から2階にかけてはパリのリッツホテルで修業した料理人が腕を振るう西洋料理の公会堂多賀、北側には第一公会堂と呼ばれた大ホール、そして正面入口の2階には昭和3年(1928年)昭和天皇陛下を迎えての陸軍大演習の折に「大本営・御座所」としてご利用された貴賓室も作られました。
岩手県立公会堂HPより引用



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 上の橋方面(裏口)からのアプローチ。

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 アールデコ風の柱装飾。

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 どこか温かみを感じさせるスクラッチタイル。


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 正面入口の受付跡。う~ん、窓枠のデザインが心にくい。


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(2014年8月撮影)

 大ホール内部。創建当時はダンスパーティや美術展が催されるなど、市民の社交場でもあったそうです。映画のロケに使えそうな雰囲気ですね。


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 夕暮れの公会堂。内丸の官庁街は栃の街路樹が爽やかな木陰をつくり、(ここだけ見ると)まるでロンドンの街角にいるかのような気が。

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 夜間ライトアップに浮かび上がる公会堂の姿も、古き時代が立ちあらわれるかのような非日常感を楽しめます。