「狂うひと -「死の棘」の妻・島尾ミホ」(梯久美子著・新潮社)

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装丁は新潮文庫「死の棘」と同じく、司修

 「すべての人を不幸にしても、書きたい人だったんですよ。
あの人は、死ぬ順番を間違えた。母より先に死ぬべきじゃなかったんです。そうしたら、なんだって自由に書けたのに」

 久しぶりに「どっぷりのめり込む」ような本に出会えた。
 先月ニュースサイトを見ていて、島尾ミホの死後、遺族と新潮社によって段ボール千箱以上分もの島尾敏雄の遺稿や日記、ミホの遺稿が整理され、膨大な資料をもとに書かれた「『死の棘』の妻」・島尾ミホの生涯を追った評伝が上梓されたことを知った。発見された資料の中には、「死の棘」事件が起きた時期の敏雄の日記も含まれているという。
 その日のうちに書店に走って手に取ったら、帯も煽りに煽っている(↑の画像)。こんな本、660頁・3千円超の価格だろうと、買わないわけにはいかないでしょう。

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昭和19年夏 出会った頃の「島尾隊長」とミホ

 大戦末期に特攻隊長として奄美諸島加計呂麻島に駐留した島尾は、島の旧家の一人娘で小学校教員であったミホと知り合い、明日をも知れない状況下で逢瀬を重ねる。昭和20年8月13日に出撃命令が下され、ミホも自決を決意するが、ついに最終指令が下りないまま終戦を迎え、二人は結婚する。しかし、作家として戦後を生き始めた敏雄に対し、未だ戦時中の極限の状況下の恋の中に生きているミホとの間は次第にきしみ始め、他の女性との情事をつづった敏雄の日記をミホが見たことをきっかけに、ミホは精神に失調をきたす。夫への執着から正気を失っていく妻と夫の壮絶な生活を描いた「死の棘」は島尾の代表作となった。
 島尾にとってミホとの出会いはその後の作品のあり方を決定づけるものであり、彼女の存在なくして島尾文学は語れない。

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   「死の棘」事件の原因となった情事が書かれた日記

 読み始めてまず驚かされるのは、二人の「書かれた言葉」に対する執着だ。島尾は小学生の頃から晩年までのほぼ全ての日記やメモを保管していたほど、「記録する」ことに執着していた。さらに特殊なのは、夫の日記にミホが書き込みをして夫への怒りや悲しみを訴えていたこと。
 ミホの言葉が書き込まれた日記と、島尾の友人・関係者のインタビューから、著者は「ミホの狂乱のきっかけとなった日記は、島尾がわざと目にふれるように書いていたのでは」という疑問を抱いたという。作家として「書く」ために、妻にわざと情事の証拠を見せて反応を見たというのだ。

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遺品のノートに挟まれていたミホへの「誓約書」

 しかし、ミホの発病を契機に二人の力関係は逆転し、以降島尾の書くもの(日記や手紙にいたるまで)はすべてミホの検閲を通したものになったという。
上の「誓約書」が挟まれていたノートには、「敏雄が血判を捺すために切った指に使った絆創膏を貼った年賀状」も挟んであったというくだりには、背筋が凍った。
 こういう書き方をしていると「狂妻」そのものだけど、本書では妻にかしずいているかのように見える島尾の欺瞞もとらえている。「死の棘」の愛人のモデルであった女性は、ミホの眼を意識して書かれた「死の棘」連作に苦しんだという(どうも自殺したらしい)。また、島尾はかつての教え子であった女性に、折にふれ自分の「本音」を話し、その言葉を記録しておくように言ったという。
「ミホがいるために書けないこともたくさんあって、日記にも本当のことをすべて書くわけにはいかないから、お前さんにすべてしゃべっておく。僕が言うことをいつか書きなさい」

 そして常に「書かれる女」として生きてきたミホが、自分の生を取り戻すために「書く女」になろうとした時、自分の人生の主要な部分が島尾敏雄という作家によって上書きされ、自らの体験も変質してしまっていたというくだりは痛切だ。それでも彼女は、故郷の島を舞台に夫婦関係の破綻をテーマにした小説を書くことで、フィクションの中に彼女の真実を書いた。
 
 「総力戦」とは実生活上の闘争であったと同時に<書く-書かれる>の闘いでもあった。二人は共通の体験を互いに際限なく上書きしていったようなところがある。
(中略)もっともそれ以前に、ミホは自分の人生そのものを島尾によって上書きされていると言えなくもない。書かれる前とあとでは体験そのものが変質し、書かれたことで生身の自分が浸食されるような経験をミホは長くしてきたのである。島尾の死後、ミホの書くものが力を失ったのは、もう闘う必要がなくなったこともあるのだろう。二人の人生を自由に編集できる立場になってからのミホの文章はあきらかに張りを失っている。

 「書く」という行為はかくも残酷なものなのか。書くことで相手の人生すら書き換えてしまうものだと、本書を読んで実感させられる。

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(敏雄の死後、ミホは生涯喪服姿を通したという)

 「書かれる女」から「書く女」として自分の人生を取り戻そうとしたミホは、島尾の死後「愛された妻」「唯一無二の愛し合った夫婦」として生きるために、再び「書かれる女」の立場を選ぶ。
 ミホは島尾敏雄を評価した奥野健男吉本隆明山本健吉からも、「島長の娘」「巫女の血筋を引く家柄」「無垢な少女」「純粋な愛ゆえの狂気」などといった実態とはかけ離れた言葉によって書かれてきた。実際のミホは「もののけ姫」どころか、東京で高等女学校を出て働き自動車も運転し、島では小学校の代用教員として働いていた、知的水準の高い女性だった。しかし、奥野らの「『死の棘』の妻」のイメージを維持するために、彼女は養女であった出自を隠したり、島尾の日記すら改変していく。
 このあたり、生存戦略というよりは、もともとミホの自己演出・自己陶酔力(?)のなせるわざじゃないかと思う。
「喪服の懐に短刀を忍ばせて、島尾隊の出発を見届けながら浜辺で自決するつもりだった」とか、「敏雄の遺骨を抱いて素足で雪の上を歩いた」とか、「毎年8月13日の晩には出撃命令の晩に逢瀬した浜に喪服姿で佇んで、一晩明かす」等々。本人にとっては切実なのだろうけど、芝居がかっているというか、「こんなにも愛されたワタシ」アピールが半端じゃないのだ。
 正直いって、自業自得とはいえ、こんな奥さんと暮らしていたら、そりゃ外に目を向けたくもなりますがな。

 全体を通して、著者の目線は「書くひと」であった島尾敏雄にやや寄っているような印象を受けた。島尾が周りの人すべてを不幸にしても書いたように、著者も「文学史上に残る『愛の神話』」を破壊しても新しい「島尾敏雄とミホの姿」を書こうとする。(晩年のミホが著者のインタビューを突然中断したのもなんだかわかるような気がした)
 著者の「書くことへの執着」こそが、作家・島尾敏雄と妻ミホの<書くー書かれる>闘争を鮮やかに描き出した力作といえるだろう。
  

独り言:
 それにしても、奥野とか吉本の書くミホ像ってば、ほとんど「ナウシカ」とか「もののけ姫」というか、二次元アイドル(?)みたいじゃないですか。男どもが女に勝手に抱く妄想理想像の貧困さときたら、時代を問わないんだなあ~と呆れるというか感心しました☆