さらば書原杉並本店

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 結婚以来、久しぶりに阿佐ヶ谷を訪れた。
 私見では、中央線文化圏の中でも中野区寄りでサブカル色の強い高円寺と比べると、阿佐ヶ谷はややマイルドな街だ。というか阿佐ヶ谷、荻窪西荻窪、吉祥寺と一駅ごとに女子度がグラデーションのように次第に高くなっていくように感じるのは私だけだろうか?
 読書と珈琲をこよなく愛する私にとって、良質で個性的な新刊書店、古本屋に喫茶店とカフェが豊富な中央線文化圏はまさに楽園だ。

 「書原」は阿佐ヶ谷に本店を置く小規模のチェーン書店で、高井戸駅構内のお店に初めて入った時は感動した。入ってすぐのいい場所を芸術コーナーが占めていて、その中には能面打ちの技法の専門書まであったのだ。奥の棚には講談社学芸文庫やみすず書房の本、選書のコーナーもあり、棚の見せ方といい、駅ナカ書店とは思えないレベルの高さ。さすが筑駒や名門私立中高が並ぶ沿線の書店だけあるな~と感心した。霞が関店も場所柄、知財関係のコーナーが充実していて、書店員の知識は司書顔負けだった。
 しかし、近年の出版不況で晴海や霞が関高幡不動の店舗が相次いで閉店し、阿佐ヶ谷本店の店頭は数年前から同居する「靴流通センター」の派手な看板に押されて存在感がやや薄くなっているようで、気になっていたのだ。

 昨日ふっと阿佐ヶ谷に行こうと思いついたのは虫の知らせだったのかもしれない。店の入り口には「平成29年2月19日をもちまして閉店させていただきます」のお知らせの貼り紙が。閉店の理由は入居するビルが耐震強度不足で取り壊しになるためとのことで、本社機能はつつじヶ丘店(調布市)に移転するのだそう。ショック!
 店内はそこそこの人出。私も最後の思い出になる本を買おうと、迷路のような狭い棚の間をカニ歩きで進む。雑然とした店頭とは打って変わって、入口の棚をとっかかりに連想ゲームのように人を奥に奥に誘い込むような棚の配置になっている。かなり独自性の強い棚づくりである。
 入って右側奥の壁際「現代思想」の棚には、みすず書房や新潮社から刊行されたフーコーロラン・バルトデリダラカンがポイントをおさえて配置されている。大型書店のようなスペースがない分、書店のセンスがもっとも現れるのが専門書の棚だ。日常の生活圏内で「その気になれば」専門書に手を伸ばせる書店なのだ。

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 「書原」のブックカバー。好きだった原稿用紙柄。カバーも書店のカラーが表れると思うのよ。

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 限られた予算と時間で選んだ最後の二冊。
 左は私の好きなノンフィクション作家・星野博美の最新の文庫。星野さんが荻窪の安アパートで一人暮らしをしていた頃の生活を描いたエッセイ「銭湯の女神」は今でもお気に入り。
「書原」杉並本店最後の買い物が、杉並区での一人暮らしに疲れて戸越銀座の実家に帰った「戸越銀座でつかまえて」というのは、私自身の生活の変化とも重なり、偶然とは思えない。
 右は「かながわレファレンス探検隊」という図書館員の自主的な学習会の有志によって編纂された、「図書館で<調べものをする方法>」。たとえば「韓国・北朝鮮の人名はいつから現地読みになったのか」などという事案を何を手掛かりにどう調べるのかといった『調査方法』がわかりやすくまとめられた本だ。現代思想の棚にあったのは学生や教員を意識した配置なのだろう。初版は2006年刊行。
 こういう書店が、中央線の中心地から撤退してしまうのは本当に惜しい。

 すぐれた書店は街の文化財だ。私は図書館のヘビーユーザーでもあるからこそ、逆説的に「身銭を切って手に入れた本しか結局は身につかない」という事実を知っている。だから、図書館で借りる本と買う本は明確な棲み分けをしている。
 大学の恩師・I先生は、1年生の最初の授業で「君たちが本を買うことで文化を支えるんだよ」と発言して学生にハッパをかけていた。大学3年生の頃(?)に大学のすぐ近所にアイブックスという質のいい書店が出て喜んでいたら、私の卒業後まもなく撤退してしまっていた。I先生は「君たちが買い支えないから、唯一のまともな書店がこの街から撤退してしまったんだぞ」と本気で怒ったという。
 その気持ちはすごくよくわかるのだ。阿佐ヶ谷のような街でも良質な新刊書店を支えられなくなっているという悲しい現実に、暗澹たる気持ちになった週末だった。