「神西清 作品集」(青猫文庫)-ヴォカリーズを聴きながら
中高時代は新潮社文庫や旺文社文庫でいわゆる「世界の名作」を読んでいた。あれだけ翻訳ものを読んでいたのは今のところ(後にも先にも、というにはまだ若い)、大学受験前の10代が最多だったと思う。
高校の吹奏楽部で1年上にもの静かな先輩がいた。彼は放課後の音楽室に入ってくると、黙々と音階練習に取り組んでいて、たまにみんなで食事に出てワイワイ盛り上がっている時でも隅でニコニコ笑いながら静かに参加している、といったタイプだった。
16歳の少年ウラジーミルは隣に引っ越してきた年上の美しい女性ジナイーダに淡い恋心を抱く。だがジナイーダは自分に惚れる男たちを自宅に集めては、いいようにあしらっているような奔放な女性だった。恋心が募るウラジーミル。そんな彼の気持ちに気づきながら翻弄するジナイーダ。
「自分が見下さなければならないような男には興味が無いの。私が興味があるのは、むしろ自分を服従させる人だけ」そう言い切る彼女。
そんなある晩、ウラジーミルはジナイーダの家に忍んでいく男を目撃する。その男は、他ならぬ自分の父親だった……。
零落した地主貴族の父と資産家の母の結婚から生まれたツルゲーネフの半自伝的作品で、全体を流れる黄昏前の陽光のような淡い輝きと16歳の少年の心の揺らぎが端正な文体で描写された、美しい中編小説だった。深い緑と青の油彩画の表紙も小説のイメージによく合っていた。
しかし、鈍い私はなぜ先輩がツルゲーネフを貸してくれたのかは思いも至らず、一週間後「ありがとうございましたー!なんか切ない小説ですね♪」などと言って返したのだった。大学進学後、悪友と海外文学の話をしていてそのエピソードを話したところ、
「あんた馬鹿ね~そんなわかりやすい小説貸されて、本当に気がつかなかったの?!」
と呆れられた。
とはいえ、翻訳者「神西清」の名前はその後チェーホフやプーシキンを読むようになってからも頻繁に目にした。特にチェーホフ「犬を連れた奥さん」の、行き場のない恋のやるせなさ、「桜の園」で滅びゆくものが放つ最後の淡い輝き、文章の格調の高さは他の翻訳者では決して味わえないものだった。神西清訳のツルゲーネフやチェーホフを読んでいると、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」が聴こえてくるような気がする。
熱が出て寝たり起きたりの休日になったけれど、そんな日こそ美しい言葉で綴られた短編小説をゆっくり味わうためにふと立ち止まる日なのだとも思う。