岩手県立美術館②

 今回は出発の二週間前にかかった風邪が長引いてしまい、前日まで微熱が続いていたのを、文字通りの片肺飛行でなんとか仕事を片付けて、執念で出てきた状態でした。
 したがって、美術館では目的を絞って、イコール「松本竣介舟越保武展示室」にほぼ限定しての鑑賞でした。
つき合ってくれた伴侶殿、ありがとう。

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「聖クララ」(1978年・砂岩(諫早石))

 舟越保武のことは最近まで「あの舟越桂のお父さん」「若い女性像を作ってた彫刻家」くらいしか知りませんでした(汗)
 確かに代表作は楚々とした感じの若い女性像が多くて、それしか見ていないと甘っちょろい印象を受けるのだけど、だからこそ展示室を観てよかったです。
 ちょうどキャリーケースに先日買った随筆集を入れてきて、美術館に行った晩にホテルで読んだこともあって、すごくいいタイミングで舟越保武を観られたと思う。

 上の「聖クララ」などの聖女像は非常に日本的な印象で、正直いって銕仙会で見る若女や増の面に通じるたおやかさ、寂しさを感じました。日本人がキリスト教を受容する中で、やはり日本的な要素が残るのでしょうか。
 随筆集によると、「聖クララ」はアッシジを訪れた際に雨宿りをした回廊に偶然飛び込んできた若い修道女の「この世のものとは思えない」美貌を瞼に刻み込んで制作されたという。
 面白いのは、その場に居合わせた奥さんは修道女などいなかったと言い、舟越も修道女が立ち去るところは見ていないという、現とも幻影ともつかない出会い方であったということ。松本竣介とスケッチに出かけたと錯覚していた「Y市の橋」のエピードを思い出します。常に「観察する」ことに鋭く意識的であっただけに、文字通り霊感(インスピレーション)が降りてくる瞬間を捉えられる人だったのかもしれません。

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 圧巻はなんといっても、舟越の宗教に対する姿勢が現れたこのコーナー。「長崎26殉教者記念像」の一部と、「原の城」「ダミアン神父」が並ぶ作品群(写真には写っていないけど、左側には脳梗塞後に左手だけでえぐるように作られた「ゴルゴダ」や「マグダラ」が展示されていました)。

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 手前は「原の城」の頭部習作。

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「原の城」(1971年・ブロンズ)

 この作品の前に立った時、「痩男」の亡霊を連想しました。そう、この彫刻は島原の乱の城跡に佇む亡霊そのもの。破れた鎧をまとい、痩せ衰えた兵士は目と口がぽっかりと洞になっていて、実物はこの写真よりずっと凄みがあります。
 堀田善衛の「海鳴りの底から」によると、三方を海に囲まれた天然の要塞・原城は乱の末期には兵糧攻めでそれは凄絶な状態だったといいます。この像からは海鳴りの音、海鳴りとともに原城後に響く彼らの絶望の「声」が聴こえます。
 まさに「鬼哭啾啾」という言葉がふさわしい作品でした。


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「ダミアン神父」(1975年・ブロンズ)

 ベルギー人のダミアン神父(1840-1889)はホノルルで司祭となり1873年、志願してハンセン病患者が収容されるハワイのモロカイ島に宣教師として赴く。この病を治療する薬のない当時、ここに来ることは死を意味していた。神父がどれだけ患者達にいたわりと同情の言葉をかけ熱心に布教活動をしても、この病に罹った者達にとり神父の説教など空々しい。同情と哀れみにより彼らと共に涙を流したとしても、患者でない神父とは限りない隔たりがある。これに悩んでいた神父も1885年に同じ病者となり、改めて患者に神の言葉を伝えたという。数年後、神父はこの島で死んだ。   
岩手県立美術館HPから引用)

 病に侵されたダミアン神父の写真を見て、その変わり果てた容貌から強い人間愛と気品を感じて制作された作品で、当初は「病醜のタミアン」という作品名がつけられていたそうです。
 

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 この作品も前に立っただけで、すごく強く伝えてくるものを感じました。病が容貌を変えてしまった凄まじさの中に、なにか美醜を越えた迫力がある。病に侵される前の神父が自己矛盾に葛藤し、なす術もなく亡くなっていく人たちの手を握りながら虚しさに苦しんでいたのは想像できる。そして罹患した後、変わり果てた姿の写真を故郷の母に見せないでほしいと願ったというエピソードに、人間らしさを感じる。
 西洋的宗教観では「殉教」になるのだろうけど、この像はそういう崇高さ・勇ましさよりも人間臭さを感じるんだよね。製作者の意図とは違うようだけど。


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 これと同じ作品が埼玉県立近代美術館にも収蔵されていて、「病醜のダミアン」が「ダミアン神父」に変更された経緯があります。まあ、無理もないよね…とは思う。
 「病醜」という言葉に強い思いを抱いていたからこそ、神父の顔に結節を作っていく作業に震えおののいた作者の恐れ(自分にしかこの美しさはわからないのではないか)は現実のものとなる。
 
 1983年4月からこの作品を常設展示していた埼玉県立近代美術館に、ハンセン病の元患者たちが「病気への誤解と偏見を生むから公開を差し控えてほしい」と申し入れたのだ。確かに予備知識なしにこの像と対面すれば、ハンセン病への恐怖心がかき立てられる可能性はある。長い期間、偏見と差別にさらされてきた元患者たちが危惧するのは当然かもしれない。話し合いの結果、像は84年1月、美術館の応接室に移され、鑑賞を希望する人だけに公開するという形で一応の決着を見た。
 話し合いはその後も続けられ、像の脇にハンセン病に対する誤解や偏見を解く文章を配し、「病醜のダミアン」を「ダミアン神父」と変更することなどを条件に99年8月、像は元の場所に戻された。舟越さんも納得したという。
 (2015年8月5日付産経新聞「鉄機翁のため息」より引用)

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柳原義達「岩頭の女」(ブロンズ)

 松本竣介舟越保武展示室の入り口に立つブロンズ像。
 もとは備前高田市立博物館前の巨岩の台座に立っていた像ですが、東日本大震災で台座の巨岩ごと流され、瓦礫に埋もれていたのを修復して岩手県立美術館で預かっているそうです。
 両足、片手はもげて、ところどころに裂け目が見えるのが災害を物語っていますが、顔がほとんど無傷なのには驚きです。
この作品を観ると、ここはやはり被災地の美術館なのだ、という現実に引き戻されます。
 それにしても、この像、わりと最近どこかで見た記憶が。
…と思ったら、神奈川県立近代美術館鎌倉別館前にこれとよく似たブロンズ像があって、やはり柳原義達の作品だそうです。
こちらは「犬の唄」というのだそう。
初めて松本竣介展を観に行った鎌近の像にここで会えるとは…巡り合せだなあ。


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堀江尚志「顔」

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 美術館の外は公園になっていて、ちょうど枝垂れ桜が満開を迎えていました。近隣の住犬のお散歩コースになっているらしくて、あちこちからワンコたちが湧いて出てくること(笑)

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 向こうの原っぱからもワンコを連れた夫婦が。


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 リードが長いのか、桜の下に走っていくワンコ。
 いいなあ、私たちもこんな生活してみたいねえ~なんて羨む我々。盛岡のワンコは東京ワンコよりずっと幸せな環境を満喫しているようです。