「好き」を極める -大川美術館探訪記ー

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 桐生市の大川美術館へ行ってきました。
都心から約二時間半のプチ旅。最寄りの新桐生駅からタクシーで15分ほどの水道山の中腹にある個人美術館です。この水道山の坂が急勾配で、しかもブロックを敷いた(舗装されていない)道で、タイヤがボコボコ跳ね返されてドキドキ。
 ようやくたどり着いた美術館は、正面からはバス停と見まがうような小さな建物で、本当にここが有数の松本竣介コレクションが展示されているのか?と思うほど。

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 もともとこの美術館は、地元の実業家・大川栄二(三井物産を経てダイエー副社長、マルエツ社長を歴任)が、引退後の1989年に開館したもの。
 建物は元第一勧業銀行(DKB)の社員寮を、松本莞(竣介の子息)が増改築したそうです。山の斜面に沿って建てられた5階建てのスキップフロア方式の建物で、社員寮という用途の特性上、美術館としてはかなり特異なつくりになっています。

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 5階の入り口すぐの展示室。小部屋が三つ並んだフロアで、壁で区切られた展示室を出入りしていると、蜂の巣に迷い込んだかのような気持ちになる空間です。
 人里離れた場所にあるので、ひと気があまり感じられないのだけど、突然人がすっと現れたり、離れた壁の向こうから人の声がしたりして、ちょっと気味が悪いのも、非日常感を高めてくれます。

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 螺旋階段を降りた4階の「松本竣介記念室」。
 1938年の大作「街」がぱっと目に入ってきます。この絵の前にはソファが置いてあって、滞在時間中、一番長く時間を過ごした場所でした。ソファの背後には野田英夫アメリカから持ってきたという巨大なトランクが展示してあって、鍵を開けることができず、野田英夫の生前のままにしているらしい。
 野田英夫は、10年以上前に信濃デッサン館を訪れた際に一目見て惹かれて、私はノベルティのTシャツじゃなくて絵が欲しいと言って、母に画集を買ってもらった画家です。

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『野田英夫画集』(1987年・平凡社

 私が初めて所有した記念すべき画集。
 街と人びとの姿をモンタージュした野田の作風に惹かれた竣介は、野田の影響を受けつつも独自の表現を確立していきます。松本竣介に出会う十数年前に野田英夫の画集を欲しがったことを思い出すと、私は好みの傾向があまり大きく変わらないタイプなのかなあという気がする。

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 大川美術館の展示の核となるのが松本竣介コレクションで、このフロアは松本竣介と野田英夫の作品を中心に、竣介と交流のあった舟越保武、麻生三郎、鶴岡政男、靉光らの作品が竣介記念室を取り囲むように展示されているのが徹底しています。

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 舟越保武「たつこ像」。
 田沢湖畔に建つ彫刻のオリジナル。岩手県立美術館の女性像より素朴で初々しい乙女の姿。舟越保武随筆集によると、制作を依頼した秋田県側では、たつこのモデルにと秋田芸妓を紹介したけれど、舟越は車窓から一瞬見かけた地元の一女性に、たつこの面影を見出したとのこと。そりゃ、神秘の湖に佇む乙女が芸妓さんじゃ違うよね~。

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 松本竣介記念室、その1。天井は結構低めです。

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「婦人像A」(1942年)

 下塗りを重ねた絵肌が美しい婦人像。白い肌の下にうっすら浮かび上がる青に、透きとおるような肌の美しさを感じる。
 特定のモデルはいないらしいけど、竣介の婦人像には禎子の面影を感じさせる作品が多い。都会の群像のモダンな女性にも、進歩的ではっきりした思考、そして自我を持った女性像を感じさせる。竣介が美しく感じる女性は、禎子のような都会で生きる女性なのだろうか。

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 個人コレクターの蒐集だからなのか小品が多いけれど、確かな好みで選んだと思われる内容で、好感が持てる。

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ニコライ堂の横の道」(1941年頃)

 冬の夕暮れの光が反射して黄金色に輝くニコライ堂の白壁、重油の匂い、遠くからきれぎれに聴こえてくる豆腐屋さんのラッパの音…。観ているうちに、いつの間にか通りの向かい側に立ってニコライ堂を見つめているような気持ちがするほど、せつないまでの懐かしさを覚える作品。
 白地を丁寧に塗り重ねた上に、透明絵具を塗るグラッシ法の魅力が生かされている佳品です。夕暮れの空の、靄のかかった輝きが、ずっと見ていて飽きない。この絵には、音も匂いも冬の空気をも描かれている。
 生誕百年の展示だったら、こんなに全身で味わうような鑑賞はできなかっただろうと思うと、初めてこの絵を観た場所がここでよかったとつくづく思いました。

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「裸婦b」(1947年頃)

 晩年の竣介は抽象的な表現に向かっていて、この裸婦も物理的にはあり得ない、ピカソみたいに同時多角度的な表現なのが面白い。ボン!ムギュ!みたいな肉感に、なんというか、「都会的で、知的で、端正なだけがオレじゃないんだぜ」という主張が感じられるのは、気のせい?(笑)
(でも結構マジメに描いてるよね)

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 これは、確か「終戦」というタイトルがついていたようなスケッチ。下中央にcamelの煙草が描かれていたり、ボロをまとった女性や工場が描かれていて、都会を描くということはその時代をも描くことなんだなあと思ったのでした。

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「建物(青)」(1948年)

 そして、絶筆の「建物(青)」。青い闇の中に白い神殿風の建物が浮かび上がって、ぽっかりと開いた入口の暗闇が、黄泉の入口のよう…。

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 他にも、難波田龍起ファミリー展示室とか、企画展の水彩画展示室など多数の部屋があって、喫茶室での休憩を入れると3時間は滞在したでしょうか。
 写真は会員用の談話室。アフリカのお面もコレクション。
 社会的に成功した実業家が絵を買うこと自体は珍しいことじゃないけど、投機目的じゃなくてとことん自分の「好きなもの」基準で選んで美術館まで設立しちゃう(しかも設計者は一番好きな画家の息子)のが徹底している。
「好き」をここまで極められるって羨ましい気がする。