2017 長岡花火

イメージ 1

 3年ぶりに長岡の花火大会に行ってきました。
 実家の花火大会なら毎年帰省できそうなものですが、昭和22年以降の長岡の花火大会は、もともと昭和20年8月1日の長岡空襲の慰霊・復興祈念を目的としているのでカレンダーは固定。今年は2日間とも平日開催でした。今回は諸般の調整がなんとかうまくいって、8月3日(木)の夕方に夫と一緒に超大混雑の長岡駅に到着。東京駅から浴衣にバッチリメイクで乗り込む女性、ベビーカーで河川敷に降りようとするらしき無謀な親子の姿等々。
 この10年ほどで花火鑑賞の環境やルールの整備が進み、前回見かけたテーブル・椅子は完全禁止になってました。ゴミもまとめて集積所に捨てるので近隣のゴミ捨ても激減。子どもの頃、観光客が我が家のトイレを貸してくれと言って入ってきたことがあったのを覚えているけど、今はありえません。

イメージ 2

 注文したおいたオードブルと、我が家のおにぎり・枝豆。
花火見ながらのビールが最高なんだよね~。ちなみに私は黒ラベル派です。

イメージ 3

 開始時刻19:30ちょうどに慰霊の「白菊」3発の打上げ。
 市街地の8割が絨毯爆撃で焼失し、この信濃川河川敷も多数の死者で埋め尽くされる中、私の祖母は布団を被って長生橋を走って生き延び、消防団にいた祖父も助かったためにこの顔ぶれが今ビール飲みながら花火を見ているんだなあ。ということを思わされる白い花火。

イメージ 4

 この日の朝のTVで、花火鑑賞士なる資格の持ち主を紹介していて、700万円以上カメラや録画機材に投資しているとかいう人がいたけれど、私としては花火の間撮影に集中しているのはなんだかもったいない気がする。。文字通り一期一会、それも一瞬の美しさだからね。

イメージ 5

 昔(私が高校生の頃)はこんな何段重ねのような大型花火はなくて、せいぜい大型スターマインくらいだったので、就職して十数年ぶりに観たときはほんとにビックリしましたわ。

イメージ 6

 花束みたいな花火。

イメージ 7


イメージ 8

 パステルカラーの花火が続いた後で、こういうキリリ系の花火を見せるのもいいね。

イメージ 9

 かわいい♪エキナセアとかガーベラみたい。

イメージ 10

 長岡花火の代名詞となった復興祈念花火「フェニックス」。
全長2.5kmの超ワイド花火、3社共同で打ち上げているそう。

イメージ 11

 平原綾香の「Jupiter」のメロディの展開に合わせて、だんだん大きく広がっていく花火。真っ暗な土手から次々と静かに打ち上げられていく花火が希望の火を連想させるような演出で、曲調と絶妙に合っている。

イメージ 12


イメージ 13

 ラスト、炎の中から飛び立つフェニックス。技術面でも資金面でも従来の花火を上回るこの花火を中越地震(2004年)の翌年に企画・実現したのは本当に凄い。震災の直後に新たな「長岡の花火」を創り出すとともに、イベントの見直しをはかったのだそう。これがダメなメンバーが揃ったら、「来年は大型スターマインを減らして、その分笑顔でおもてなし」とか変な方向に走っていたかもしれず(大きい会社なんかでありがちなパターン)、長岡がそっちの選択をしなくて本当によかったです。 

イメージ 14

 そして、伝統的な長岡花火・正三尺。
 フェニックスとか天地人とか大型花火が普通になった今でこそ正三尺の存在が薄れがちだけど、それでも打ち上げ前にサイレンが鳴るのは正三尺だけ。母の子どもの頃はサイレンの音とともに長岡の街の灯が一斉に消えて、みんな打ち上げを見守ったそう。そういや私も子供の頃はサイレンが鳴ると、早く家から出て花火を見てと言われた記憶が。スターマインなら一発くらい失敗してもフォローがききそうだけど、正三尺は失敗が許されないから花火師さんは緊張するんじゃないだろうか。
 例年、正三尺の打ち上げは一晩に二回と決まっていて、今年は一回目にナイアガラと同時に三発打ち上げて、二回目は昔ながらの一発勝負。昭和な長岡市民としては、三発同時はありがたみがないので、やっぱり凛とした昔ながらの正三尺を見て、「今年の夏は終わった。。」と思えますね。

イメージ 15

 花火大会終了後は、観客席から中洲(打ち上げ場)に向かって携帯やスマホのライトをかざして、「花火師さんありがとう~」と挨拶を送ります。花火大会開始前の18時頃から場内アナウンスで練習を呼び掛けていたけど、早い時間からしっかり練習したりライトを確認しているのは高い確率で長岡市民。長岡市民はまじめだね~。
 次回はいつ観に行けるかわからないけど、一緒に観ようねという夫との約束を実現できたこと、そのためにいろいろと準備に骨を折ってくれた家族に感謝です。