読書日記・藪塚ヘビセンター

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 もう一か月くらい前のニュースですが、兵庫県で小5男児がヤマガカシに噛まれて一時意識不明の重体になった事件。ヘビを飼おうとしてヤマカガシをつかまえてリュックに入れて持ち帰ったために二度も噛まれたなんて!私としてはこの経験を生かして夏休みの自由研究に取り上げて、今度は安全なヘビを飼育してヘビ道を進んでほしいものです。

 この事故で血清を供給したのが群馬県のジャパンスネークセンター(正式名称は日本蛇族学術研究所)。日本で唯一、毒蛇の咬傷研究および血清の開発製造している民間の(!)研究所です。
 写真は6月下旬に桐生市の大川美術館に行った時、目的地・新桐生の一つ手前の停車駅・藪塚で見かけた掲示
 私自身はご先祖様がサルの頃からヘビなんて見るのも勘弁してほしい方ですが、このヘビセンターを取りあげる魅力的な作家に二人も遭遇してしまいまして、心の隅っこに「藪塚ヘビセンター」が引っかかっていたようです。僅かな停車時間中にセンサーが作動して、「おお、あれが噂のヘビセンターかっ」とシャッターを切りました。

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 一人目は、大宅賞作家の小林照幸
 「毒蛇」はハブ毒の乾燥血清を開発して、日本蛇族学術研究所(以下「へび研」)を設立した澤井芳男氏を取り上げたデビュー作。小林氏は明治薬科大に在学中にへび研に通って取材を重ね、「毒蛇」は開高健賞(奨励賞)を受賞。作家活動に専念するために薬科大中退しちゃったというだけあって(?)、澤井氏と著者の熱意が感じられる力作で、若書きの粗さも細かい説明も苦にならず450頁余りを一気に読みました。
 この文庫本は、確か会社帰りに新橋駅前の書店で買った記憶があるけど、当時20代の巻き髪女子が表紙からして毒々しい「毒蛇」本をレジに持っていく光景って、第三者的に観たらちょっとシュールかもしれません。

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 もう一人、センターのヘビたちをキュートに描いたのが、武田百合子
 「遊覧日記」中のタイトルもそのまま「藪塚ヘビセンター」。当時すでにジャパンスネークセンターという名称があったのに、わざわざ「藪塚ヘビセンター」とちょっと舌足らずな言葉から、辺鄙な片田舎の小さなセンターのイメージを的確に表現するところが百合子さんらしい。

 大蛇コーナー(第二生態実験温室)。水飲み場のついた二畳ぐらいの三和土の室に、斑紋と条紋、高級絨毯か大昔の壺の色柄をした大蛇が一匹ずついる。どっしりとぐろを巻いて、眼を開いたまま全く動かない。インドニシキヘビ。アミメニシキヘビ。ときどきは広い場所へ出して貰うのだろうか。たまには真直ぐにならないと体に悪いんじゃないだろうか。こんなに大きいのにカナリヤの羽をちぎったようなかわいらしいウンコしかしないのだ。

 …といった具合に人気のすくない鄙びたヘビセンターの様子を描写が続くのだけど、大蛇の骨格標本を眼にするにいたって「ほかのものは手足なんかあって、ごたごたして汚ない!!と急に蛇を讃える気持ちが沸き起こった」。
 こまやかな観察眼と推敲を重ねた無駄のない文章、そしてちょっと舌足らずで稚い表現で本質をさらっと突く描写力は、ヘビセンターという絶好の被写体を得て、存分に発揮されています。

水溜りまできた蛇は顎から尾まで長々と伸ばして気持ちよさそうに水を呑んだ。水を呑んだあと、体を滑りこませ、とぐろを巻いて顎まで浸る蛇。水溜りを渡って囲いの内側のつるつるした壁を這い上ろうとする蛇。這い上ってずり下がる蛇。相当の高さまで這い上ったけれど、力尽きてハタリと落下、悶える蛇。水溜りを渡るには渡ったけれど、気持が変わってその場でとぐろを巻いて動かなくなる蛇。あきらかに年寄りか病気持ちとわかる黒ずんでささくれた蛇。どうしてそんな所で?(と私には思える)中途半端な場所で死んで干からびている蛇。

 実際にスネークセンターに行った人の記事によると、叶姉妹が飼っていたものの手に負えなくなったアルビノのニシキヘビとか、希少種の毒蛇飼育していて噛まれて119番したことから違法飼育がバレ、警察に押収されたヘビも飼育している模様。
 研究者の手作りと思しき展示パネルは、当時からトンチキユーモラスな名文句が書いてあったらしい。

蛇のさまざまな交尾写真には簡単で適切な名文句の説明がついている。< >内が説明文の一部。
①出会い
②抱擁<全身が縄のように絡まって交接する。手足のない蛇に 
 はこれしかテがない>
③愛の抱擁<ながいながい愛の抱擁>
「<ながいながい愛の抱擁>だって――いいなあ」と、Hが言った。

 ただ、ジャンルがジャンルなだけに来場者が少なくて、入場料で研究所を運営しているへび研は、厳しい財政難とのこと。


 今回の小5に投与したヤマカガシ血清は、実は30年前に採毒して製造した在庫だそう。
 血清や解毒剤のように人の命を左右するものは、利益云々に関係なく用意できるように本来は国が少しは取り組むべきものですが、寄付は可能なのでしょうか。朝日新聞もそこはもう少し突っ込んで書いてほしかったね。