「赤い死の舞踏會」(エドガ・アラン・ポオ/吉田健一訳/若草書房)

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 見つけた瞬間、小躍りしたくなった古書。
 吉田健一の翻訳で、しかもポーの作品集だったらもう買うしかないでしょう。昭和23年6月に若草書房から出版された本です。昭和27年にはエリザベス・ボウエン「日ざかり」の翻訳も出しているし、吉田健一終戦直後に英米の小説をせっせと紹介していたことがわかります。

収録作品は、以下のとおり。
・ベレニイス
・メツツェンガアシュタイン
・リジイア
・沈黙
・アツシャア家の没落
・群衆の人
・赤い死の舞踏會
・アモンティラドの樽

 あとがきによると、大佛次郎から借りた原著のなかから吉田健一が愛好していた短篇を選んで訳出し、ラテン語の翻訳は加藤周一の教示を得たとのこと。つまり、翻訳といっても吉田健一の好みというか個性が濃厚に抽出されているといえます。


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 「赤い死の舞踏會」の冒頭。現在では「赤死病の仮面」として広く知られている短篇ですが、原題は1842年の初出時には「The Mask of the Red Death」で、その後1845年の改訂版でタイトルの「Mask」が「Masque」に変更され、仮面舞踏会がより強調される形になったとのこと。そういう意味では、吉田訳の方が原題に忠実で、かつポオ作品の持つ残酷な美しさを端的に表している気がします。
 そもそも「赤死病」自体が架空の病名なので、おそらく「黒死病」(The Black Death)から着想を得てつけられた和訳なのかも。それにしても、1842年当時は発見されていなかったエボラ出血熱と酷似した症状をポオが書いているのが怖い…。


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(参照)ハリー・クラークによる挿絵 1919年

 吉田セレクション(笑)では他にも、生きている死体をテーマにした『ベレニス』とか、
「世にも怪奇な物語」(「黒馬の哭く館」)で映画化された『メッツェンガーシュタイン』を取り上げていて、おお~私の好みだああ♪ポオしかり、『聊斎志異』しかり、怪奇なものは美しくないと!

訳し終わって気付くことは、各短篇の美しさは否めないと同時に、その何れもが妖怪か怪異か、兎に角我々の日常の論理を超脱した現象を主題として居ることであり、能の中で最も濃艶な作品が、例えば「熊野」の如き一、二の顕著な例を除けば、大概は幽霊か化物を主人公として居ることに想到させないでは措かない。ポオが「リジイア」の中で、ベイコンの言葉を引用して居る。「凡て精妙な美には何處か奇異な所がある。」という箴言が洋の東西に於いて実証されて居るのは興味ある事実であると思ふ。

(ああ、「鐘巻」観たかった。。)
 吉田健一自身の小説にもずばり『怪奇な話』という短編集があって、旅先の北陸で女の幽霊と仲良くなって一緒に暮らすようになる話が出てくるし、『金沢』も現実の人間とは思えない登場人物と酒を飲んでいたりしますね。

 あとがきでもう一点興味深いのは、ポオ作品につきものの「訳注」を不要だとバッサリ断じていること。

私には訳注といふものの効用が余り信用出来ないのみならず(読むものが訳注に書いてあることを知って居ればその訳注は無駄な訳であり、知って居ないにしてもその訳注を読むことがどれだけ本文に対する理解に実際に資するかは甚だ疑問である)…

 この後には、そもそもポオの挙げている「出典」や地名には彼の創作によるものが多くてあてにならないと書いている。
 確かに訳注をいちいち引きながら読んでも、テクストそのものの理解につながっている気はしないよね。出典となった故事や地名を知らなければ、むしろ本文から注意が逸れることにもなりかねないし。

例へば我々が、
 アイアイティアの島に、キルケ一人して泣く、
というふ詩の一句を読んだとするならば、我々はたださういふ島にただキルケといふものが泣いて居たといふことを理解すれば足りるのであって、古典辞書によってアイアイティアというふ島が何處にあり、キルケといふのは誰だつたかといふことを知った所でそれは断じて詩自体に対する我々の理解を増すものではない。

とまで書いている。さすがに『オデュッセイア』を知らなくてもいいというのは大胆すぎるけど(笑)。
 米原万里が『旅行者の朝食』で、ヨーロッパ人は自分の教養をアピールするためにラテン語や古典を引用したスピーチをしたがること、その一句にとらわれると訳せないから、通訳は現時点での自分の知識を総動員して全体の意味が通じるように訳さなくてはいけなくなる、と書いていたことを思い出した。
 吉田健一の訳注に対する批判は、本文読解の妨げになりかねない訳注をつける翻訳者への批判であるとともに、読む側に対しても本文に対する理解そっちのけで知識を追う読み方への意見でもあるのだろう。


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 吉田健一の容貌は、白洲正子が書き手の品格を疑われるような書きようをしているけれど、なかなか雰囲気がありますね。
ご本人の方でも、俺もまんざらじゃないと思っていた節がありそう(笑)。長男の健介氏(物理学者)も、写真を見る限りスマートで素敵な紳士だったようです。


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 こういう古い本は、そのままバッグに入れたらボロボロになってしまうので、古本・ノート用ケースに入れたうえで、バッグに入れています。読む場所も車内じゃなくてテーブルに着いてから。古い本を読むときは気を使います。