「藤田嗣治と愛書都市パリ -花ひらく挿絵本の世紀」(渋谷区立松涛美術館)
藤田嗣治(レオナール・フジタ)といえば、2006年春に国立近代美術館で開催された大回顧展で目にした繊細な線で描かれた乳白色の女性像や猫、戦争画、子どもの印象が強いですが、その藤田が生涯に数多くの挿絵本を手がけていたことはあまり知られていないようです。
この夏、松濤で1910年代から戦後にいたるまでに制作された藤田の挿絵本を一堂に集めただけでなく、同時代のエコール・ド・パリの画家たちが手がけた挿絵本も多数展示されているというので、Bunkamuraを素通りして行ってきました。
まずは、白井晟一設計の美術館をパチリ。
都内有数の高級住宅街・松濤という立地にあって、ちょっとした邸宅程度の大きさしかない松涛美術館の、それも2フロアのみの展示スペースを感じさせない出展数の多さ・密度の高さを感じさせる展示で、なんと1時間半も滞在しちゃいましたよ。
とにかく藤田の手がけた挿絵本の点数の多さ、戦後パリに戻った際にかつて手がけた書籍を自ら買い集めて見返しに記録をつけていた痕跡から、彼がいかに挿絵本の仕事を愛していたかが伝わってきます。大回顧展からはうかがえなかった藤田の一面がかいま見える展示の中から、印象に残ったものを何点かピックアップ。
「中毒について」(1928年 ジュール・ボワシエール著・藤田による挿画16点)
アヘン中毒をあつかったこの本の挿画を手がけるために、インドシナへ行ったことのなかった藤田はテキストや数多くの資料を読み込んだといいます。おそらく藤田お得意の面相筆を使ったと思われる線描の美しさとオリエンタルな色彩感が印象的。
「朝日の中の黒鳥」(1929年ポール・クローデル著・藤田による表紙1点・挿画22点)
こちらはいささか粗っぽいタッチで舞楽や能(「鉄輪」の後シテを描いているらしい?)などを描いていますが、率直に書かせていただくと、ちょっとガイジンの異国趣味に便乗した感アリ。
近代美術館の「藤田嗣治展」、この挿絵本展でも感じたことですが、生涯を通じて東京美術学校(芸大)、パリ、メキシコ、戦時中の日本、戦後のパリを転々とした藤田は、自分が置かれた環境において暗黙の裡に求められたもの(異国趣味や戦争画)をたくみに取り入れてきた、したたかさがあったんじゃないかと思います。たとえば、1920年代にパリで制作した挿絵本はガイジン目線のオリエンタリズムを感じさせる日本的な表象が目につきますが、1930年代に帰国してからの挿絵本はフランス時代とは一転してパリの風俗や田園風景などフランス的なイメージのものが多いです。
とかく「異邦人」としての孤独な面を語られがちな藤田だけど、そんなヤワな人ではなかったんじゃないかな。
「海龍」(1955年 ジャン・コクトー著・藤田による挿画25点)
藤田はあのジャン・コクトーとも仕事してたんですねえ。どことなく大正ロマンの匂いを感じさせる、繊細で流麗な線描。藤田の描く女性は目元が艶っぽいですね。この絵の他にも、襟を抜いた芸妓の後ろ姿、髷のほつれ毛にドキッとさせられました。
藤田といえば「乳白色の肌」が有名ですが、松濤の地下1Fに展示された挿絵本の数々を観ていると、この線描こそが、彼の最大の魅力といっていいと思います。
美術館2Fでは「エコール・ド・パリの画家たちによる挿絵本や油彩画が展示されていて、ジャン・コクトー、ボナール、キスリング、パスキン、ルオー、ローランサンなど錚々たる顔ぶれです。中でも目を惹いたのはシャガールの「ダフニスとクロエ」。幻想的な構図、青や緑、薔薇色といった色彩の美しさは、ラヴェルの第2組曲が聴こえてきそうなまでにみずみずしく音楽的です。
「花束を持つ少女」(1925-1926年 パスキン)
油彩画のほとんどは道立近代美術館のコレクションでした。松濤も好きな美術館ですが、初秋の北海道でこのコレクションを観てみたかったです。
この美術館は、高級住宅街という立地条件から地上3階・地下2階という構造になっており、近隣への配慮から外部に向かって窓を大きく取れないという制約があったそうです。白井の腕の見せどころは、卵形の建物の中心部に吹き抜けを穿ち、吹き抜けの底部には噴水をつくって、「内に向って開かれた空間」を生み出したこと。
中世のロマネスク建築を思わせる、赤っぽくざらついた石の外殻からしてすでに「濃い」のだけど、中に入るとさらに濃厚な空気がただよっています。
この手すりのカーブを見よ。