「全体主義の起源」(ハンナ・アーレント/みすず書房)

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 先日読んだ『予期せぬ瞬間』の版元・みすず書房は、学生時代から私の憧れというか知的虚栄心の象徴でした。
 ヴィクトール・フランクル『夜と霧』、R・Dレイン『引き裂かれた自己 分裂病分裂病質の実存的研究』やロラン・バルト『零度のエクリチュール』、レヴィ=ストロース『野生の思考』などのロングセラーにみられるように精神分析現代思想の分野に強い出版社で、演習やレポートの課題として買うたびに自分の知識教養・思考力の低さに打ちのめされたものです。

 著者のハンナ・アーレント(1906-1975)はユダヤ人としてドイツに生まれ、1941年にナチズムの台頭したドイツからアメリカに亡命します。戦後、イスラエルで行われたナチの幹部党員アイヒマンの裁判の傍聴記録『エルサレムアイヒマン』のなかで、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、出世志向の強い卑小な人間が自ら思考することなく指示に従って大量虐殺を行った「悪の凡庸さ」を論じました。また、裁判の正当性に対する疑問や当時のユダヤ人ゲットーの評議会責任者がナチに協力していた事実も指摘したことで、アーレントユダヤ人社会やイスラエルシオニスト達から激しいバッシングを受け、ニューヨークの自宅は文字通り抗議文書や脅迫状でいっぱいになったといいます。この『エルサレムアイヒマン』執筆のエピソードは映画化されています(日本公開は2012年)。


 今年9月にはNHK Eテレ「100分de名著」で『全体主義の起源』が取り上げられ、郊外の中規模書店でもアーレント・コーナーが見られました。こういう本が売れるのは、時期的に現実世界で起きている情勢に対して思うところのある人が多い証左かもしれませんね。
 とはいえ、実際に売れているのはNHKテキストや新書等のガイド本のようです。ネットで『全体主義の起源』のレビューを検索したらほとんどがNHKテキストのもの。みすず書房の本は高いし(一冊5千円也!)、内容は難解なので無理もない。たとえガイド本でも難解な思想の普及に一役買っているという一定の意義はあると思います。ただ…自分で考えなくてもわかった気になれる「わかりやすい主張」に対する警告を発していたアーレントの主張に共感して、「読んだ気になれる」ガイド本ばかり買って満足するというのもね。

 というわけで、私の「ひとり朝活」はみすず書房の『全体市議の起源』(全3巻)に決めました。みんながロープウェイでショートカットしている山道をふうふう言いながら登っていくようなものでしょうか。私の持論では背伸びするくらいでないと思考力は身につかないと思っているし、僭越ながら、みすず書房のような初版売切でようやく利益が出る良書を出している出版社を応援したい気持ちもあります。
 といっても、地図を持たずに挑んで遭難しても困るので、知人の司書に相談したら、アーレントの思想の概説書は読んでおいた方がいいでしょうということで、川崎修『ハンナ・アレント』(講談社学術文庫/2014)を紹介してもらいました。
アーレントは一度読んでもよくわからないところがあるから、1年くらいかけて読み返したほうがいいですよ、とのこと。

 ずいぶん昔、森瑤子さんがエッセイで、大型書店で膨大な本を目にするたびに、自分はこの本を全部読み切れずに死ぬんだなと思うと絶望的な気持ちになると書かれていたのを思い出します。彼女は若くして癌で亡くなられたので、余命を知った上で書いていたのかなと思うと痛ましい気持ちになるけれど、仮に90過ぎまで生きられても無理な望みだと思う。
 体力、気力、思考力が有限である以上、その資産を使えるうちに自分が良書とどれだけ出会えるかが大切ではないかということ。それには自分で考えること。
 以上、夜更かし&暴飲暴食が確実に翌日以降に影響するようになってからの座右の銘です(爆)。