私の「嵯峨野明月記」-素庵ゆかりのお寺-
常寂光寺は小倉山の斜面に沿って、木々に埋もれるように建っており、
その名の通り、静かな佇まいのお寺でした。
このお寺を開山するにあたって、小倉山を寄進したのは角倉了以。
時雨亭跡は山頂付近にあるそうですが、前日の雨で道がぬかるんでおり探索は断念。
その名の通り、静かな佇まいのお寺でした。
このお寺を開山するにあたって、小倉山を寄進したのは角倉了以。
時雨亭跡は山頂付近にあるそうですが、前日の雨で道がぬかるんでおり探索は断念。
常寂光寺と二尊院には、もうひとつ目的があって訪れました。
それは「嵯峨野明月記」の主人公の一人・角倉素庵ゆかりのコースをたどること。
角倉素庵って誰?・・・ここでちょっと解説しますと
安土桃山~寛永時代の豪商・角倉了以の息子で、
朱印船貿易や高瀬川の開鑿を行った実業家にして朱子学の学者です。
さらに琳派の祖・光悦&宗達の手になる「嵯峨本」の出版事業も行うなど、
スケールの大きな業績は、メディチ家のそれを思わせるものがあります。
「嵯峨野明月記」では、実業と学問の間で引き裂かれ葛藤する人物として描かれていて
作中で宗達に「あー肩こりそう!」と言わせてるのだけど(笑)
素庵は最高の富と知性と教養、嵯峨本を作るほどの美的センスの持ち主だから
魅力的じゃなかったはずはなかろう!と勝手に思ってます。
それは「嵯峨野明月記」の主人公の一人・角倉素庵ゆかりのコースをたどること。
角倉素庵って誰?・・・ここでちょっと解説しますと
安土桃山~寛永時代の豪商・角倉了以の息子で、
朱印船貿易や高瀬川の開鑿を行った実業家にして朱子学の学者です。
さらに琳派の祖・光悦&宗達の手になる「嵯峨本」の出版事業も行うなど、
スケールの大きな業績は、メディチ家のそれを思わせるものがあります。
「嵯峨野明月記」では、実業と学問の間で引き裂かれ葛藤する人物として描かれていて
作中で宗達に「あー肩こりそう!」と言わせてるのだけど(笑)
素庵は最高の富と知性と教養、嵯峨本を作るほどの美的センスの持ち主だから
魅力的じゃなかったはずはなかろう!と勝手に思ってます。
二尊院は、天皇や公家の墓所のある大きなお寺で、角倉家のお墓もあります。
角倉一族のお墓は了以&素庵父子のお墓を囲むように、結構なスペースを占有。
しかし、素庵はある不幸のため、ここで眠ることはできませんでした。
広々とした本堂は簡素ながら風格があって、ついお焼香してしまったほど。
この日は秋晴れで、本堂を爽やかな秋風が吹き抜けていきました。
山のお寺めぐりって心が洗われるような気持ちがしますね。
角倉一族のお墓は了以&素庵父子のお墓を囲むように、結構なスペースを占有。
しかし、素庵はある不幸のため、ここで眠ることはできませんでした。
広々とした本堂は簡素ながら風格があって、ついお焼香してしまったほど。
この日は秋晴れで、本堂を爽やかな秋風が吹き抜けていきました。
山のお寺めぐりって心が洗われるような気持ちがしますね。
時雨亭跡はお寺のはずれにありましたが、崖っぷちを歩いていくのでひと気は全くなし。
やっとの思いでたどり着いた「時雨亭跡」がコレ↓です。
定家と式子内親王の愛の妄執が想像できますでしょうか・・・・・・?
しかしこれ、どう見ても基礎の石組みではなさそうで、「なんちゃっ亭」?!
・・・と、しょーもないダジャレが頭をよぎる私 f^_^;)
やっとの思いでたどり着いた「時雨亭跡」がコレ↓です。
定家と式子内親王の愛の妄執が想像できますでしょうか・・・・・・?
しかしこれ、どう見ても基礎の石組みではなさそうで、「なんちゃっ亭」?!
・・・と、しょーもないダジャレが頭をよぎる私 f^_^;)
二尊院を出て、さらに15分ほど歩いて化野念仏寺へ。素庵の眠るお寺です。
この嵯峨野めぐりでいちばん印象に残ったのが、この念仏寺でした。
角倉家は素庵の長男が前田利家の姪と縁組しますが(媒酌人は光悦らしい)、
その後、素庵を不治の病(ハンセン氏病)という思いがけない不幸が襲います。
(小説では、太夫に身を落とした宿命の女・「土岐の女」との一夜の契りで病にかかる)
晩年の十数年を嵯峨野の別邸で隠棲した素庵は、病状が進んで失明するのですが
蚊帳越しに弟子に朗読や口述筆記をさせ、最後まで学究をあきらめなかったといいます。
当時、この病気は遺伝が信じられていたため彼は菩提寺の二尊院には入れず、
この念仏寺に本当のお墓があるのですが・・・・・・探し出せませんでした。
念仏寺といえば、賽の河原を模した西院が有名ですが
このなかに立つと、無数の石仏から声なき声が響いてきそうな錯覚にとらわれます。
うちのお寺さま(真宗大谷派)が、法事で人生を砂粒の一つに喩えられたのを思い出しました。
西院は夕方のほうが そんな雰囲気をより感じられるかもしれません。
この嵯峨野めぐりでいちばん印象に残ったのが、この念仏寺でした。
角倉家は素庵の長男が前田利家の姪と縁組しますが(媒酌人は光悦らしい)、
その後、素庵を不治の病(ハンセン氏病)という思いがけない不幸が襲います。
(小説では、太夫に身を落とした宿命の女・「土岐の女」との一夜の契りで病にかかる)
晩年の十数年を嵯峨野の別邸で隠棲した素庵は、病状が進んで失明するのですが
蚊帳越しに弟子に朗読や口述筆記をさせ、最後まで学究をあきらめなかったといいます。
当時、この病気は遺伝が信じられていたため彼は菩提寺の二尊院には入れず、
この念仏寺に本当のお墓があるのですが・・・・・・探し出せませんでした。
念仏寺といえば、賽の河原を模した西院が有名ですが
このなかに立つと、無数の石仏から声なき声が響いてきそうな錯覚にとらわれます。
うちのお寺さま(真宗大谷派)が、法事で人生を砂粒の一つに喩えられたのを思い出しました。
西院は夕方のほうが そんな雰囲気をより感じられるかもしれません。
(一番上の写真は念仏寺山門)