国立能楽堂特別企画公演「能と組踊」第一日(続き)

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さて、更新がだいぶ遅れましたが 後半は「芦刈」。


「君なくてあしかりけりと思ふにぞ いとど難波の浦ぞ住み憂き」
―あなたと別れてから私は不幸なことばかり続いて、ご覧のような身の上になってしまった。愛するあなたとこんな形でめぐり会ってしまう難波の浦は、なんという苦しい、いやなところだろう・・・。

人の世には人の力ではどうにもならない宿命というものがある。
でも、そんな境遇の中でも、悲しくもやさしく美しい歌を詠んだ人もいたのだ――
「芦刈」は、悲劇の中にも人間に対する一条の希望の光が感じられて、私の好きな物語です。
だから、初めて「芦刈」を観たとき、ハッピーエンドは取ってつけたような感じを受けたのですが
この舞台では、そんな印象をちょっとあらためたのでした。

シテは このあいだ日本芸術院賞を受賞した観世銕之丞
あの朗々とした、オペラ歌手を思わせる謡は 芸尽くしのこの曲には合ってた気がします。
銕之丞の「笠の段」は明るくのびやか。零落した哀れさより、どん底のその日暮らしにあってはじめて、左衛門は自由とはどういうことか知ったのではないか、とさえ思えてしまう。
「芦刈」は 満次郎様の重々しく切れ味鋭い舞台の記憶が鮮明なのだけど、銕之丞の左衛門はやわらかく華がありましたね。
これっていわゆる流儀の違いというより シテの芸風の違いかも。二人ともかなり個性が強いし。

「笠の段」の後、妻と再会してからはドラマチックな展開です。
衝撃と恥ずかしさでこわばった左衛門の心が、妻と歌を詠み交わすことで次第にとけていくくだりは、舞台全体の動線&橋掛かりで歌を詠みあう場面をじっくり見られる脇正面の方が楽しめると思います♪
目の前の上臈がかつての妻だと知る場面では、シテは(私の位置からは)背中を向けているのだけど、さすが銕之丞、微妙~な感情の揺らぎが 背中や首の動きにしっかり表れていてました。
三の松までの摺り足ダッシュ(笑)は、満次郎様のワックスでも塗ったのかと思うような摺り足に驚いたんだけど・・・銕之丞の摺り足は、もうすこし柔らかい感じ。
左衛門の妻をつとめたツレは震えを帯びた、なかなかいい謡で役に合ってたと思うけど、ところどころ力が入りすぎててちょっと残念。でも、やわらかい銕之丞とのバランスは取れてたかも(?)

音重さん率いる地謡勢は年齢構成のバランスもよく、前列はアラサーの若手が目についたけど聴き応えがあって、「彼方へざらり、此方へざらり、ざらりざらりざらざらざつと、風の上げたる古簾、つれづれもなき、心面白や」は、思わずつられて口ずさみそうになったくらい、メリハリとリズム感ノリノリ♪で、すんごく楽しかったです。
やっぱり他業種立合形式のような舞台だと、皆さん張りきるんでしょうか?(笑)
お囃子も文句ナシにすばらしく、特に曽和正博さんの鼓は いつもの安定感に加えて冴え冴えと澄みきった美音。笛は私の大好きな松田弘之さんだし。
お調べもたっぷり味わえて満足。脇正面にしてよかった♪

そうそう、解説を読んでなぜ能の「芦刈」がハッピーエンドなのか、という疑問がとけたのでした。
ワキと間のやりとりで「同じ物でも所によって名前が変わる」というくだりがあるのだけど、
「芦(アシ→悪し)」の別名は「葦(ヨシ→善し)」。「刈(カリ)」の掛詞は「仮(カリ)」。
音が通じることから、二人の一度は別れた運命が悪しから善しに転じたこと、芦を刈る暮らしは仮の暮らしなどとイメージの連鎖を巧みにつないでいるのであろう、
曲名を「芦売」ではなく「芦刈」にしたところにも、作意が窺われるとのこと。
悲劇に終わる「芦刈」が、ことばのイメージの連鎖でハッピーエンドに転じてしまうとは、つくづく日本語って奥が深い!と思います。

それにしても国立能楽堂の解説はなかなかレベル高いです。これで560円はかなりお買い得♪