The Man I Loved

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林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳・一九三二年の日記・夫への手紙」(中公文庫)
 
文庫の紹介文によれば、林芙美子の没後50年を機に公開された、1932年の私的な日記なのだそう。
もう何年も前に買った本ですが、「精神と空間」展を機に、久しぶりに書棚から引っぱり出してみました。
当時は実家にあった藤森照信「建築探偵シリーズ」を読むくらいで、まだ建築めぐりをするほどじゃなかったので、この本のおかげで白井晟一=薄桃色の美しい沢山の薔薇の花を白い箱に入れて贈る人」という刷り込みが先行していたのだけど、もちろんこれは(建築サイドからみれば)余談。建築関係者の中では、白井と林芙美子の恋愛は、白井の生前から結構知られていたエピソードらしい。
松涛美術館の、あの花崗岩の厚い殻の内部で美を通して己の内面に対峙させるような独特の建築と、汐留ミュージアムに展示されていた白井の文章、若き日のポートレート(←知的なイケメン?に弱いやまねこ)になんとなく惹かれて、「精神と空間」図録をお取り寄せするとともに、こちらも再読。
 
「放浪記」「浮雲」など、貧しい暮らしにあえぎながら運命に翻弄される市井の男女の姿を描いた小説で知られる林芙美子(1903~1951)。1931年11月、ベストセラー「放浪記」の印税を旅費に、単身シベリア鉄道に乗り込んだ芙美子は、中国・満州の旅を経由して11月下旬にパリに到着。一ヶ月間ほどのロンドン滞在を挟んで、翌年5月下旬まで半年近くパリに滞在します。1931年当時の日本は、1929年のNYでの金融大恐慌のあおりを受けて、失業者130万人の頂点に達したほどの大不況のなか、満州事変、満州国建国、5.15事件と、戦争と全体主義への道を突き進んでいた時期でした。北九州の行商人の私生児として生まれた芙美子自身、結婚と「放浪記」の成功で、職と男を転々とする放浪の生活からはようやく脱したものの、夫や親を養うために書き続けなければならない生活。満州事変直後の当時、朝鮮・満州を経由してのシベリア鉄道の旅は危険を伴ったにもかかわらず芙美子が旅立ったのは、そうした明日の見えない日本での閉塞的な日々から離れたかったのかもしれない。
一方、自らの核たる哲学を学ぶためにハイデルベルグ大学に留学し、さらにベルリン大学に移籍していた白井晟一は、義兄の個展のためパリに滞在しており、芙美子の日記によると、パリ在住の知人の紹介で1932年4月1日に芙美子と知り合い、5月下旬に芙美子が帰国するまでほぼ毎日逢っています。
(解説によると、4月下旬~6月下旬の破り捨てられた日記の中には、5月初旬に二人がミレーゆかりの地・バルビゾンに旅行した記述が含まれていたのではないかとのことで、裏付けとして当時晟一が滞在していたパリのホテルのチェックアウトの記録をあげていたのだけど、70年以上もたってそんな調査されちゃうのも気の毒な気がする。。。記録が残っていること自体すごいけど)
 
日記を読む限り、芙美子は晟一に激しく傾斜していきながらも、最初からそれが「見果てぬ恋」であることをわかりすぎるくらいわかっていたようだ。帰国後しばらくはせっせと手紙を書いていたらしい恋人からの便りも次第に途絶えていき、「晟一より、何のたよりもなし。それでいい遠い人だ、遠いひとだけに美しくまるで夢のやうでもある」「晟一よりたよりなし。もうくたびれなくなった。はかなくほのかな思ひ出、人生の一節であった。だが思へば胸も瞼も熱くなる」というありがちな経過を経て、芙美子はエッセイや小説の中で晟一との恋を虚構化していく。
編者の今川英子は「作品化によって芙美子は恋の終止符を打ち、日記を破り捨てたのでは」と解釈しているけど、やまねこの解釈はむしろ逆で、芙美子は小説の中で虚構化することによって見果てぬ恋を純化しようとしたのかもしれない。(「あたしの分泌したことばは、現実を溶かして、現実と非現実の境にゆらめくかげろうのなかに、あたしを閉じ込めるための呪文という性質を帯びていました。」(倉橋由美子))
帰国後の二人の交流は不明ながら、白井は<用の美>を説いたエッセイの中に「めし」という文章を書いており、担当編集者に「林芙美子『めし』は自分がつけた」と語っていたのだそう。(また、芙美子の死の翌年に竣工した秋田県の建物の名前は、芙美子の代表作と同じ「浮雲」)
 
ここから先は完全に やまねこの勝手な仮説(妄想?)なのだけど、帰国後の二人は実際には会っていなかったものの、文通はしていたか、少なくともお互いの文章は読んでいたのではないか(林芙美子にとっては、帰国後の自分の現実の姿を白井に見られるのは耐えられなかったんじゃないかな~)。生い立ちや環境があまりに違いすぎる二人の恋は必然的に短いものに終わったけれど、感性で呼応しあう部分は少なからずあっただろうから、
お互いの文章の中に、当事者にしかわからないサジェスチョンを読み取っていた可能性は充分ありえたのでは。
それを白井が「あれは自分がつけたのだ」と解釈した・・・の、かもしれませんね。
 
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ちなみに、中公文庫の鳩(?)の装丁は、白井晟一が手がけたものだそうです。
「精神と空間」と併せて、建築家デビュー以前の白井のエピソードを、薔薇の飛んでる背景で読むのも一興、かも・・・。