「白井晟一 精神と空間」&松涛美術館

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1月8日(土)からパナソニック汐留ミュージアムで開催されている白井晟一 精神と空間」展、初日に行ってきました。
 
白井晟一(1905~1983)は、戦後日本のモダニズムの潮流からスタンスを置き、象徴的で物語性に満ちた形態と光に特徴づけられる独自の建築を生み出しました。
京都で銅を扱う豪商の家に生まれた白井は、建築を学ぶかたわら「技術はいつでも習得できる。大切なのはその内容であり、つまり哲学である」と、20代後半でハイデルベルグ大学でヤスパースに師事し、のちにベルリン大学にも在籍。画家である義兄・近藤浩一路とともにパリに遊学した際にはアンドレ・マルローとも交流を持ちます(そして、この時期パリに滞在中だった林芙美子と秘密の恋に落ちたりしています)。
その後もソ連帰化しようとして失敗したり、山谷で孤児を世話したりマルクス運動に参加して官憲ににらまれたり・・・etc、書けばきりがないくらい回り道をして建築家デビュー。装丁や書の分野でも活躍します。
ドイツで学んだ哲学に加え、幼少時にふれた禅と書でその独自性を肉付けした白井は、戦後モダニズムのデザイン重視で「軽い」建築を批判し、素材感と光(闇)を重視した精神性の高い独自の建築を生み出しますが、そのほとんどが独自性の強さから図面などからの再現(建)は不可能なのだそうです。
 
没後30年近くたった現在、「親和銀行東京支店」「虚白庵」などの主要作品もすでに解体されており、都内で目にできる代表作は、飯倉の交差点に建つ「NOAビル」と東急本店からほど近い「渋谷区立 松涛美術館」くらいではないでしょうか。
 
・・・というわけで、まずは松涛美術館へ。東急本店(やまねこにとっては観世能楽堂)のすぐ近くだというのに、足を運んだのは今回が初めてです。
 
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赤みを帯びた花崗岩で覆われた、中世の城砦を思わせるエントランス。汐留から流れてきたのか、写真を撮っている人たちが結構いました。
館内は写真撮影禁止なので、以下ポストカードから。
 (2012.8.27追記
 美術館に確認したところ、展示スペース以外は撮影可だそうです。
 
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高級かつ過密な住宅街という立地条件からか、建物は地上3階・地下2階と、地階を大きく利用しています。花崗岩で覆われた重厚な外観に対して、内部はブリッジで渡された円形の中庭を挟んで周遊できる構造といい、曲線のやわらかい階段といい、中庭側にしか窓のない造りといい、内へ内へと向かっていく塔のような建築です。
 
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中庭の底は噴水つきの池になっていて、閉ざされた空間で芸術に向き合い、瞑想するこの塔を、建築家は市民が美術とふれ合う「サロン」として設計したといいます。
同じ円形の美術館建築でも金沢21世紀美術館とは真逆なコンセプトですね。
やまねこ、どちらも好きですが、松涛はどちらかというと図書館のイメージかな。あの螺旋のような回廊やブリッジで、時間を忘れて本を読んですごしたいなあ。
 
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松涛の企画展は「大正イマジュリィの世界」でしたが、今回は建築がお目当てなので、夢二や華宵の装丁はスルーして銀座線で新橋へ。
汐留ミュージアムパナソニック電工の本社4階にありますが、初日にもかかわらず、ゆとりの鑑賞スペース。これが隈研吾とか、もっと若い藤本壮介あたりでも現役の(売れっ子)建築家だと結構混むのですが・・・。
 
初期~中期の作品はほとんど現存していないので、写真や図録で見た限りですが、日本の茅葺屋根にヨーロッパの民家をくっつけたような和洋折衷の木造住宅から、禅のスタイルを徐々に肉付けしていって、55年の「原爆堂計画案」あたりから象徴性の強さが前面に出てきた・・・という印象。原爆堂は建築家の自発的な(そして実現を見なかった)プロジェクトですが、中央部の「塔」はまさにキノコ雲の形をしていて、もうすこしデザイン性が強ければ丹下健三か?!というくらいでした。
年代が下るにつれて、次第に屋根の張り出しが少なく、窓もほとんどない「外は重厚、内は流動的」な、端正で内向性の高いスタイルが強まっていきます。端的に言うと、上質な紺のダブルのスーツを思わせる建築です。林芙美子によると、若き日の白井晟一「黒のダブルレステッドが非常によく似合い、風邪を引いた私に薄桃色の美しい沢山の薔薇の花を、白い箱に入れて見舞う富裕な貴公子」で、四月のパリを散歩する姿は「紺のガウンの上から金具の美しい大きなバンドを締め」「清潔で温雅」だったそう。王子だったんですね~。なんとなくわかる気がするスタイルです。
ただ、正直いって好みはともかく一般受けは難しかったかもしれないなあ~という印象です。チャコールグレイの外壁に小さな丸窓を無数につけた「横手興生病院」なんか、採光が少なさすぎて病が悪化しそうな気がする・・・。中野の自邸「虚白庵」にいたっては、バラガン邸どころではない薄暗さ。奥さまは大変だっただろうな~・・・と、ついつい形而下的な発想をしてしまう、やまねこでした。
 
半日がかりで特定の建築家をテーマに都内を回って疲れましたが、久しぶりに集中できて楽しかったです。
それにしても、白井晟一の経歴や活動内容を知るにつけ、教育の大切さ(特に青年期までの環境)を実感させられますね。それが戦前の富裕階級の財力に裏打ちされたものとはいえ。
これからの日本は(悪い意味で)アメリカ化していくだろうし、大学も実務能力直結型の教育を望む声が高い現在、知識の縦割化・教養の貧困化が進むのでしょうか。
そういう意味でもいろいろと考えさせられた企画でした。
 
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(カレッタ汐留のイルミネーション)