長谷川利行展 七色の東京(府中市美術館)

 酒に溺れ、ドヤを渡り歩くその日暮らしのなか路上でキャンバスに向かい、看取る人もないまま養育院で没した長谷川利行(1891-1940)。
 東京会場(府中市美術館)はすでに会期終了したけれど、代表作を含む140点でその画業全般を俯瞰した充実の内容。私にとっては今年ベスト5に入るであろう企画展でした。


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府中市美術館(画像はInternet Museumより引用)

 
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「自画像」(1925 油彩・カンヴァス)

 長谷川の絵はおそらく独学で、画家としての本格的デビューは32歳の1923年(大正11年)とかなり遅いスタート。実質15,6年間の短い画業だったことになります。
 1927年に二科展で樗牛賞を受賞するなど精力的に活動し評価を高め、この時期に東京の街を描いた作品が、一番見ごたえがありました。

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「陸橋みち」(1927 油彩・カンヴァス)

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「汽罐車庫」(1928 油彩・カンヴァス)

 初期作品は田端や日暮里の陸橋やタンク、工場街などがモチーフに描かれていて、時代的にも松本竣介ら都市風景を描く画家への影響がうかがわれます。「汽罐車庫」は赤茶と車体の黒のコントラストが強烈で、今にも機関車が動き出しそうなエネルギー、機械油の匂いまで吹きつけてきそう。
 年譜を見る限り、長谷川と竣介の直接的な接点は見いだせなかったけれど、二科展入選前の竣介が個展を開いた谷中の喫茶店「りりおむ」で長谷川も個展を出しているし、麻生三郎や寺内政明、靉光との交流もあるので、「りりおむ」で居合わせた程度のことはあっても不思議ではないかも。

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「カフェ・パウリスタ」(1928 油彩・カンヴァス)

 数年前に「なんでも鑑定団」で発見され、国立代美術館の学芸員が番組を見ていたことから近美に買い上げられて話題になった作品です。銀座には現在も「パウリスタ」があるけど、このパウリスタはどこの店舗を描いたのだろう?

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岸田國士像」(1930 油彩・カンヴァス)

 劇評論家岸田國士の自宅に押しかけて無理やり肖像画を描いたという「岸田國士像」。モデルの困惑の表情と背景の荒々しい縦線のタッチが、岸田の感情(うわ、とんでもないヤツにつかまっちゃったよ…どうしよう)をありありと伝えています。    
 はたして不安は的中し、長谷川の連日の無心にキレた岸田が「お金がないから、書斎の本でも持っていけば」と言ったところ、長谷川はその場で風呂敷広げて本を手当たり次第持ち帰ったとのこと。
 画代を酒代に使い切ってしまい、生活費の管理ができずに知人宅へ無心に押しかける長谷川の行状は、二科展の選考からの排除にもつながるけれど、岸田とのエピソードを読むと、現在ではおそらく福祉の支援が必要な人だったのではないかという気がします。

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「針金の上の少女」(1928 油彩・カンヴァス)

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「水泳場」(1930 油彩・カンヴァス)

 会場で圧倒されたのは、なんといってもその素早いタッチと色彩感覚。パレットで混ぜずにチューブからそのまま絵具を取って塗りつけたと思われるタッチがゴッホを連想させる。
 サーカスの少女を描いた「針金の上の少女」のスピード感、隅田川公園の水泳場の赤や黄色は、群衆のざわめきや水しぶきの音まで聴こえてきそうなライブ感覚があります。長谷川の色彩には「音」が感じられるのです。
 木賃宿を転々として自分のアトリエを持たなかった長谷川は屋外で制作していたこともあってか、30分程度で油彩を描き上げてそのまま売ってしまうことも日常茶飯事だったとか。
確かに140点ほどの展示で素描らしきものはわずか数点。それだけに瞬殺でモデルの本質を掴み取って、ガシガシと絵具を塗り重ねていったという印象で、天才というのはこういうタイプをいうんだろうなあと実感。
 しかし、己の才能をその場で切り売りするような生き方は、画壇のメインストリームからの排除だけでなく、画商に搾取されて衝突を繰り返し、次第に困窮に陥っていきます。破天荒というよりは、彼の生きた時代の社会の一面についても考えさせられてしまいます。

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「裸婦」(1938 油彩・カンヴァス)

 画家の執念というか業を感じさせる、鬼気迫る裸婦像。
この頃の長谷川は徹夜で飲み歩き、翌朝モデル市場で見つけたモデルを青黒い顔で描いていたそうで、画家の健康状態の悪さ、荒んだ生活が覆いようもなく画面から伝わってきます。裸体を縁どる赤が女の性を生々しく感じさせてゾクッとします。

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「白い背景の人物」(1937 油彩・カンヴァス)

 今回の展示準備中に新たに発見された作品。白く塗られた大画面いっぱいに四人の女と一人の男の顔が線だけで描かれていて、現代アート風といえなくもないけど、妙に怖い作品。
今後も、「カフェ・パウリスタ」のように、都内の民家から作品が発見されてもおかしくありません。

 資料コーナーには長谷川の詩や短歌も展示されていたけど、なかなか鋭い言語感覚の持ち主で、理知とは違ったアプローチで本質を抉る人だったのだなあ。 
 図録も資料としてよくまとまっており、昭和初期の東京をテーマにした読みものとしても楽しめます。国立近代美術館の昭和期の洋画コレクションも観たくなりました。