3月五雲会(2)

話はそれますが、五雲会って見所の平均年齢が若くなる貴重な(?)公演だと思います。
若い先生についているからとか、ふだんは観ないけどオトモダチが出るから、
などの理由が考えられる。
で、そんなときにオシャレして出かける人が多いのはいいことだと思います。
だって・・・舞台の上が華やかなのに、見所がくすんでるのって・・・ねぇ。
五雲会の後に、常連さん率の高そうな公演に行くと、うーん・・・。
着物とかスーツとまでいかなくても、お出かけモードくらいにはしようよ!
コンサートホールみたいに、ロビーがもっと華やかでもいいのに、とも思う。

で、やっと「藤戸」です。


●「藤戸」
 前の曲から寝てたところを、冒頭で光雄&洋太郎コンビに叩き起こされました。
 そこで寝てないで俺らの渾身の囃子を聴けー!みたいな(笑)
 ・・・が、これが思いがけずよかった結びの一番(っていうのか?)

 渡邊荀之助さん、迫真の表現力でした。
 舞台も見所も集中力の糸がぴーんと張っているような「気」を感じました。
 今日は謡がよく聴き取れたけど、「藤戸」は特に謡がダイレクトに入ってくる感じで
 わかりやすい曲というだけじゃない、演者の方々の気魄がびしびしと伝わってきました。

 なんだかまるで、能の様式で現代劇を観ているかのような舞台でした。
 絶望に塗り固められたような、前シテの面もすばらしかった。
 最愛の息子は虫ケラのように殺された上に、その事実すら忘れられていたとは!
 それまで抑制していた感情が爆発して、わなわなと震えながら盛綱につかみかかる老母。
 でもあっけなく突き飛ばされてしまう姿に、この曲の核があるのだろうか。
 この場面の荀之助さんには息を呑みました。しーんと張り詰める見所。
 気がついたら・・・映画やドラマでも絶対泣かない私が、能で涙とは。
 中入りは、間狂言が前シテをいたわるように同行する、初めて見るパターンでした。
 ふと小鼓を見たら、鵜澤洋太郎さんが懐からハンカチを出して目と鼻をおさえてる。
 え、もしかして泣いてるの?!(゜o゚;)ドキドキ
 まあ、単なる花粉症仲間ってこともありえますけど・・・。
 
 非常に写実的でメッセージ性が強く、そういう意味では「能っぽくない」曲かも。
 それだけに、作者の強いメッセージみたいなものを感じさせました。
 こういう事件が、実際にあったんじゃないのかな。
 間狂言も「これは独りごとなんだけど」とことわりつつ、主を痛烈に批判している。
 後シテは、亡霊というより盛綱の良心の呵責が具現化したものにみえました。
 というのは、せめて能の中で加害者に後悔させて、ギリギリ救いのある結末にすることで、
 忘れられていった者たちの魂を救済しようという意図があるからでは?
 そう考えると、ワキに僧の役が多いのも納得できるなあ。