「ワキから見る能世界」(安田登/生活人新書)

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観世能楽堂で「鬼の研究」(馬場あき子/ちくま文庫)と一緒に買った本。
著者は下掛宝生流ワキ方能楽師です。
能楽を取り上げてる新書って珍しいですね。しかもワキ方の本とは。
シテ方の書いた本なら わんさかあるけど)

ワキ方はたいてい旅の僧の役が多くて、上演時間のほとんどを片膝ついて
シテの執心をひたすら黙って聞くだけ・・・というイメージが強くて
失礼ながら、あまり注意して観てたことはなかったような・・・。
宝生閑さんとか森常好さんとか殿田謙吉さんのような、
独特の存在感あるワキ方もいらっしゃるし、
大江山」みたいにワキ方大活躍!な曲もあるにはあるけどね。

本書はタイトルどおり、ワキ方の視点で、能における「異界との出会い」
そもそもワキとはどのような役割を担っているのか、わかりやすく紹介した本。

「ワキ」は、もとは「横の部分」、着物の脇の縫い目部分を指す言葉だそうで、
「前」(表)と「後ろ」(裏)を<分ける>ところから、
「分ける人」「分からせる人」という意味があるんだそうです。
著者は、「表」(この世)と「裏」(あの世)をペーストする存在として
脇を定義しているのだけど、脇の部分が薄く薄く、「無」に近い存在になって初めて
この世とあの世は出会いうるのだという。
つまり、ワキがいとも簡単に亡霊に遭遇できるのは、彼らが自己を主張しない
「無」に近い存在だからだというんですね。
では、その「無」に近いワキはどんな人物かというと、実はシテに負けず劣らず
壮絶な経験をして、己を「無用なもの」としてきたパターンが多いのだそうです。

・・・といった具合に、能のメジャーな番組を引き合いに、ワキを語っているのですが、
さすがは「分からせる人」だけあって、スイスイ読ませてくれました。
著者は能楽以外のジャンル(心理学とか近代国文学)の素養もある方なので、
事例の取り上げ方も、能を観たこともない人にもイメージしやすい的確なもの。
私の専攻(漱石、文学理論)にも一部重なる領域もあり、
七合目あたりまでは うんうん、そうだよねーとうなずきながら読み進めました。
最後の40ページは、「ワキ的世界を持ってみよう」の実践篇みたいなもので、
いきなり「旅をしよう!」なんて提案してるのには、正直ありゃっとなりましたが。
それまで能の話だったはずが、突然「自分探し本」になってしまって
テーマがズレちゃった気がしないでもありませんが、なかなか面白い本でした。

個人的には、物理的な「旅」だけが ワキ的視点を持てる<場>だと
限定したくないのです、が。

私自身、能と出会ったのは旅先の金沢で、しかも転職した直後、
というドラスティックな変化があった時期でしたから、
著者の定義にうなずける部分も確かにあるのです。
私が 能の<異界との遭遇>というテーマに興味があるのも、
もしかしたら こうした経緯に関係あるのかもしれませんね。