「心より心に伝ふる花」(観世寿夫/角川ソフィア文庫)

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図書館で貸出し継続→延滞→結局、文庫本買って読了した本です。
忙しかったこともあり、私としては珍しく読みきるのに時間がかかりました。ふぅ~っ。

観世寿夫(1925~1978)は、観世流シテ方の銕之丞家の長男として生まれ、戦後の能楽復興期に「能楽ルネッサンスの会」「冥の会」などで能楽以外の演劇の分野でも活躍し、世阿弥の伝書研究でも知られる能楽師です。
数年前、野村萬斎が「オイディプス王」で話題になりましたが、このギリシア悲劇は71年に観世寿夫が「冥の会」で上演したものです。(万作パパも「冥の会」のメンバーだったんですね)

(※このブログには能のお稽古をされている方も、そうでない方も訪問されるので、
このテのレビューを書くときは、最低限の「解説」はつけたいと思います。)

昨年後半あたりから、いわゆる「芸談もの」も含めて お能関連本を読んでいますが、それらの本に必ず登場し、粟谷菊生、宝生閑、野村万作といった錚々たる顔ぶれが決まって話題に取り上げるのが観世寿夫。
現代劇に 主人公が舞台に登場せず、周囲の登場人物の会話だけで「不在の主人公の『存在感』」を際立たせる・・・といったパターンの作品がありますが、「観世寿夫」を知らない世代の私には、彼はまさにそんな「不在の主人公」のように映りました。
そのくせ、「翁」観るまで 銕仙会と寿夫の関係を知らないまま、銕仙会のチケット買ってたんですけどね~・・・ああ、無知ってオソロシイ(^_^;A

本書は、寿夫の死の翌年(1979年)に白水社から単行本として刊行されたものの文庫版。
「銕仙」パンフレット、「別冊太陽」「國文学」「ちくま」「中世評論」など、さまざまな媒介に掲載された評論をまとめたもので、その多くが最期の数ヶ月間に書かれたもの。表題の「心より心に伝ふる花」にいたっては死の直前の口述筆記による絶筆なのですが、生命力の衰えを感じさせない、熱のこもった文章で、おそらく衰えゆく体の中で魂だけを燃やし続けて書かれたのでしょう。本当に最後まで能への情熱ひとすじに生きた人だったのだなあ・・・と行間の気魄に驚かされました。

内容的には、下記の二部で構成されています。
第一部「心より心に伝ふる花」(世阿弥の伝書の解説&評論)
第二部「能の心」(自らの経験を通して、拍子や発声にカマエ、面・装束を取り上げたもの)

「百年に一度の才能」と言われた人だけあって、書くことがあとからあとから溢れてくる・・・といった印象で決して難解な内容ではないし、論理的で美しい文章だと思います。でも、無類の「入門書」っていうのは、う~ん、ちょっとどうなんだろう・・・。
寿夫は江戸式楽以降の形式主義の能&遊芸としてのサロン主義的な能(70年代当時)を痛烈に批判していて、「『舞台芸術』としての能」の発展の重要性を繰り返し書いています。世阿弥の生き方、創造的な一生こそが、能という芸術のエネルギーや精神の拠り所になるのだと。
ん~、これはさぞかしキヨホウヘンが激しかったのでは・・・と思っていたら、母によると寿夫の存命中(私が生まれる前)、新聞で能楽ルネッサンスの会の批判記事(武智鉄二と組んだ舞台だったらしい)を読んだ記憶があるとのことでした。やっぱり。。。でも、よく憶えてるなあ。

面白かったのは、「井筒」を例に取り上げた「能の演技における拍子」。謡の作詞における七五調の韻の問題を扱った評論です。シテ&ワキの問答→シテの上歌でだんだん七五調のリズムにのっとった詞になっていくのだけど、そこでもあえて一箇所だけ七五調を破るなど、世阿弥がいかに緻密な作詞をしているか・・・という箇所が、目からウロコでした。
去年は「井筒」を二回観る機会に恵まれたけど、二回とも前場の途中から詞がするする耳に入っていくようになったのは、こうした理由があったからかな~とか。
(そういえば、観世と宝生では韻を踏む強さが違って聴こえる、ような気がする・・・)

本書の魅力は、なんといっても「死ぬまで恐ろしいほどの『自己更新』を繰り返す」(松岡心平)
観世寿夫の息づかいが三十年の時を経て伝わってくるところではないでしょうか。
70年代に銕仙会を観ていた人が(ちょっと)うらやましくなったりして。
年末のNHK特集、再放送しないかな~~。