「朝日の中の黒い鳥」(ポール・クローデル/講談社学術文庫)

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美術好きな人なら、クローデルというと悲劇の彫刻家カミーユ・クローデルを思い浮かべるかも。
著者はカミーユの弟。詩人にして外交官の彼は、大正期に駐日大使として来日しています。
タイトルの「朝日」は日出づる国、「黒い鳥」はカラスのこと。
解説によると、彼は当時フランス大使公邸に飛んでくる一羽のカラスに親しみを持っており、
<クロドリ=クローデル>に通じる響きを持つこの言葉に特別な愛着を抱いていたそうです。

本書の「能」は、滞在中に足繁く通った能の印象について書かれた有名なテクスト。
詩人の感性と洞察力の鋭さ・明晰な言葉は、能を観はじめた頃の新鮮な発見の喜びや驚きを
追体験させてくれるものがあります。

たとえば、ワキは「(幻影を)見つめ、ひたすら待つ者」、シテは「常に『未知なるものからの使者』」で、「自分が何ものなのかを明かしてくれるようにワキに求めにやってくるのである」といった箇所とか。後場「言葉の作るあの不思議な幻惑によって、この世の下の庭園が、少しずつ音の響きに満ちた灰の中から輪郭を現してくる」と表現しているあたり、実際に舞台を観ているような錯覚をおぼえるほどです。

特に、<声>や<叫び>に対する彼の問題意識の鋭さが印象的。

「打楽器はリズムと運動を与えるためにそこに存在し、物悲しい笛の音は、間を置いて、われわれの耳に、流れゆく時のもつ抑揚を伝え、演者たちの背後から、時間と瞬間の対話を伝えるのである。これらの合奏に、楽師たちの発する長い叫び声がしばしば加わってくる。(中略)その声は、まるで夜、野を渡る声、自然からの無形の呼びかけのように、広大な空間と隔たりとの異様で劇的な印象を与える。あるいはまた、それは人間の言葉になろうとして暗闇の中で努力する動物の叫び声、発せられては絶えず裏切られるあの声、絶望的な努力、苦痛に満ち定まるところのない証言ともいえよう」

ちなみに、クローデル文楽義太夫の<叫び>にも鼓方のそれと同質のものを感じ取っていたようです。
あの<声>なり<叫び>があることで、三間四方の能舞台に空間と時間の広がりが生まれる・・・と思っている私は「うんうん、そうだよねっ!」と一人うなずきながら上のくだりを読んだのでした。
「人間の言葉になる前の叫び」は・・・そ、そういう感じ方もあるのね~ふ~~ん、、、って感じです。哲学的なのね。早く人間になりたーーい!!
いかん、お囃子の方々がベムとかベラに見えてきたらどうしよう(^_^;)

あと面白いのは、能を見るということは、自らの行為一つ一つの再現を不動の状態で見ること、つまり自分自身に向き合うことなのだ、と論じているところ。
クローデルは日本語に堪能ではなかった(=謡がわからなかった)そうです。
そういう日本語がわからない外国人にも、能は強く訴えてくるものがあるということ、
また、おそらく「外(の)人」であるがゆえに、クローデルは鑑賞から本質にストレートに迫っていけたのではないかと思うのです。とても新鮮でスリリングなテクストです。
こういう面白い本に限って絶版になっているんですよね・・・残念!