三月 観世定期能

能「西王母
  シテ:観世 三郎太
  ツレ:藤波 重紀
     :小早川 康充
  ワキ:宝生 閑
  アイ:山本 則孝
  後見:観世 清和
      
狂言「鐘の音」
  太郎冠者:山本 則俊
   主人 :山本 泰太郎
   裁人 :遠藤 博義

能「雲林院
  シテ:武田 尚浩
  ワキ:工藤 和哉
  アイ:山本 則秀

※これより「ハッピーアワー」
仕舞
「老 松」  坂井 音重 
「藤(キリ)」 観世 恭秀
「笹之段」  高橋 弘
「春日龍神」 小早川 修
 
能「藤 戸/蹉蛇之伝」 
 シテ :関根 祥六
 ワキ :殿田 謙吉
 アイ :山本 則重
 笛  :寺井 宏明
 大鼓 :柿原 崇志
 小鼓 :幸 清次郎
 後見 :野村 四郎
 地頭 :武田 志房


本日は「ハッピーアワーチケット」を初利用。
ハッピーアワーチケットとは、昨年秋より観世会で導入された、キリ番の演目のみ観られるチケットのこと。歌舞伎と同じシステムですね。実際には早めに並んで待たなきゃいけなかったりと結構面倒くさいのですが、重鎮の舞台が3,000円で観られるなら安いものかもしれません。
どのお流儀でも定期能は空席が目立つ状態なので、観世でうまくいけば他でも導入するかもね。
「藤戸」前場で、シテとワキが対峙する様子が観られる中正面前方の席をゲットできました。

能の前に仕舞が入ると、フルコースのメニューみたいに番組にメリハリがつくと思う。
重厚な「老松」に始まり、渋くやわらかな「藤」、芸尽くしの華やかな「笹之段」、そして若々しく爽やかな「春日龍神」。この仕舞四番は、謡の力が要求される曲、技術力・身体能力が要求される曲など、どの曲にどんな要素が要求されるのかが、わかりやすい構成。
地謡に聴きごたえがあるなあ~と思ったら、地頭は関根祥人でした。
特に坂井音重の「老松」が、重厚さの中にも華があってよかったけれど、「君が代」の「千代に八千代に・・・」以下の文言は「老松」からきてるんですね~。初メテ知ッタ。

春日龍神の余韻さめやらぬうちにキリ番が始まるのも、いい感じ。


「藤戸」
平成20年春に宝生流(渡邊荀之助&工藤和哉)、喜多流(金子匡一&宝生閑)で観て以来、
今回が三回目の鑑賞。
どっちかというと「パワフル系or若いシテ VS いぶし銀系ワキ」というパターンが続いたので、<藤戸=慟哭するお母ちゃんをなだめる温厚な佐々木盛綱>のイメージが強かったのだけど・・・。

一年前の三月、藤戸の合戦で先陣をとった勲功によって領地を与えられたワキ・殿田謙吉(佐々木盛綱)は、朗々とした謡といい、大きな顔と体といい(笑)、いかにも武勲を立てて得意げな武将といった雰囲気です。ワキ&ワキツレの謡は、戦は終わったし褒美はもらえたし、一族郎党引き連れての春の領地入りはさぞ気分がよかったのだろうと思わせる、明るさに満ちたもの。
でも春の日差しにも必ず陰があるように、この武勲の陰には盛綱の隠しおおせない罪が・・・。

前シテは、青みの強い濃い藤色の装束に、黒髪の鬘で登場。宝生では白髪でしたが、喜多・観世は黒髪の母で、老母とはいっても実際にはまだ若いのかもしれません。面も老女よりはやや若い、すこし品の下る顔立ちでいい面。でも、このシテの内面は絶望のあまりすっかり老いて、橋掛かりを歩くのもやっとという足取り。悲しみと怒りの力だけで盛綱のもとまでようやく歩いてきたのだろうか。
きょうの「藤戸」は今までで一番渋く、抑制のきいた舞台でしたが、シテの枯れた味わいのある謡やギリギリまで余分をそぎ落とした動きが、浅瀬を教えたばかりに口封じのために息子を殺された母の、やり場のない悲しみと怒り、無力な己への絶望がひたひたと胸に迫ってくるようだった。
前場の見どころ、息子の最期を聞かされたシテがワキに「つかみかかる」場面・・・は、つかみかかるというより、盛綱の刀を奪って自害するつもりだったんじゃないか?という風に見えた。このシテなら死を選ぶような気がしたし、私の位置からはワキが刀の柄を袖で隠してシテを制止するのが見えたので。アイ(盛綱の下人)にシテを送らせるのも、自殺を防ぐためなんじゃないかという印象です。
アイの則重は、最近では落ち着きも加わって、中入後の長い語りもなかなかヨカッタ。まだ若いのに華も品もあるし、今後の舞台が楽しみな狂言方です。

後シテ(漁師の亡霊)は、珍しくサラサラストレートヘアーの黒頭、面もまだ少年の面影を残したような顔立ち。前場と一転して見た目は若い雰囲気です。でもしぼり出すような謡とゆるやかな動きが、殺されたときの苦痛のなかに生きている感じ。地謡との掛け合いや、杖(漁に使う竿だろうか?)の扱い方が暗く繊細で、有無を言わさず引き込まれてしまう。終盤で仏力で成仏する場面で杖をからん、と落とすのが、漁師を縛りつけていた苦痛がふっと離れたというような落とし方。今までで一番写実性が低かった分、繊細で密度の高い「藤戸」を観られたと思います。
いつもは中正面って目付柱がジャマで敬遠していたのだけど、「藤戸」みたいに目付柱を挟んでシテとワキが対峙し続ける能だと、ちょうど両者の中間地点というか三角地点の延長線上にいるので、自分も舞台のなかに立ちあっているような臨場感が味わえたのも新しい発見だった。

帰りは松涛~渋谷の坂を下って春のお靴も買って、リフレーッシュ♪できた一日でした。