銕仙会 五月青山能

狂言「文山賊」
シテ :深田 博治
アド :竹山 悠樹

能「頼政
シテ :小早川 修
ワキ :大日方 寛
アイ :高野 和憲       
笛   :槻宅 聡
小鼓  :幸 正昭
大鼓  :佃 良勝
地頭  :西村 高夫
主後見 :浅見 真州

(※5月26日(水) 銕仙会能楽研修所)


水曜日は定時に退社して銕仙会能楽研修所へ。

青山能は若手(30~40代)を中心とした定期公演で、私は初めての鑑賞です。
200席ほどの小さな見所は満員状態で、茶髪の学生や外国人だらけ。若者率7割と、おおかたの公演と年齢構成が完全に逆転していましたが、みんな熱心に見入っていて、演能中ケータイが鳴ることもなく、囃子方が退場するまで拍手を控えるなど、マナーも非常によかったです。

このブログの一言メッセージ「今月の和歌(?)」にも頼政の歌を載せていますが、頼政は都育ちで文人としても名高く、源家の傍流でありながら一族では異例の従三位まで出世したほどで、
新古今和歌集にも余韻のすばらしい歌を遺しています。
安徳帝の即位後、頼政以仁王を擁立して平氏に反旗を翻しますが、作戦は失敗し宇治平等院に立て籠もり抗戦するものの、ついに辞世の歌を詠んで自害を遂げます。時に頼政77歳。(ちなみにこの時平氏方を率いた一人が「千手」の重衡で、まさに盛者必衰という言葉が浮かびます)
能「頼政」は、不遇な人生を生きた頼政の戦いと最期を、悲しくも力強く描いた修羅能です。

頼政
諸国一見の僧が都を出て南都(奈良)へ向かう途中、宇治の里に着く。
そこへお約束通り、いわくありげな老人(前シテ)が現れるのですが、前シテがすぐには姿を現さず、幕の向こうから声だけが聞こえる・・・というのがいかにも幽界から現れるという感じ。ややあって姿を現したシテは、今日は低音のしっかりした謡。意識的にやや強めに謡っているような印象で、扇の芝へワキ僧を誘導し さりげなく自分の正体を明かすまでのくだり、謡の持っていき方(?)というか積み上げ方にシテの並々ならぬ気合が感じられました。ただ、ワキが大音声を張り上げるタイプなのが残念。ワキがここでシテに張り合ってどーする!

後シテは緑の頼政頭巾を被り、黄金の法被に濃緑の厚板姿。青みがかった緑の半切には水流が渦巻く様子が金で描かれています。近江作の「頼政」は頬骨が高く、目とかっと開いた上の歯列に金泥をほどこしていて、意志の強そうな、無念そうな顔立ち。先日の「千手」もそうでしたが、この「頼政」もまるで皮膚呼吸をしているかのように表情が様々に変化して、生身の面みたい。
思うに、このおシテは私の想像力を刺激するところがあって、お役の人物の感情の揺らぎというか内面が、そのまま直に私の心に共振してくるのが魅力なのです。
頼政」の後場でシテはほとんど鬘桶にかけたまま、宇治の戦の様子を語るのですが、謡とギリギリまで削ぎ落とされた型だけで観る者のの想像力に訴えかける、「お能らしい」演出で、すっごく面白かったです。鵜澤光さんも後でお話されていたけれど、この場面がたとえば「碇潜」みたいな あてぶりな型だったら、戦の迫力や頼政の悲壮な心情が伝わってこなかったかもしれない。
こういう凝縮された表現を目にするたびに、お能というのは観客の主体性を要求する芸能であり、その分演者にとって厳しい面があるのだろうと思います。
以仁王六度も落馬してやむなく立て籠もった平等院の頼みの綱は、橋を落とした宇治川の急流だけという圧倒的に不利な状況。その宇治川も、一人の冷静沈着な若武者によって突破され、なすすべもなく見守る頼政の表情。宇治川を三百騎の軍勢が渡ってくるのを目にして、頼政は自分の命運がついに尽きたと痛感したのでしょう。刻々と絶望的な様相を呈してくる戦況を、シテと6人の地謡が力強く描写します。謡が強い分、シテの型は抑え目で、面を切る型も強く静かです。
ついに鬘桶から立ち上がり目付柱の前で辞世の歌を詠む頼政

埋れ木の花咲くこともなかりしに 身のなる果てはあはれなりけり
(埋れ木のような我が身は、花の咲くことなどあるはずがなかったのに、このような結果になってしまったことが悲しい。)

この歌が、とても静かに切々と謡われただけに頼政の悲哀が迫ってきて。老武者にしてはいくぶん若々しい頼政だったけど、余韻の残る一番でした。

この日は小早川ファミリーは一家総出で、事務所の前に康充くんと満子ちゃんの幼い兄妹がお行儀よくちょきん。と座っていたのが可愛いかったです。
帰りに表参道駅のビューティーラボでちょこちょこっとお買い物もして、満足なやまねこでした。