桜の季節を抜けて

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 東京の春はあわただしい。通勤途中の桜並木の梢がぼうっと霞んできたなと思っているうちに、満開の桜に立ち止まる隙もないまま春は足早に過ぎ去ってしまう。
 東北新幹線で埼玉、福島、岩手と北上するにつれ、山の稜線や木々の輪郭がやわらかく煙ってきて、ようやく春の女神の裳裾にふれることができたような気持ちになる。

 四月末に訪れた盛岡は、待ちに待った春の訪れを全身で謳歌しているといった風情。市内を流れる三つの川(北上川、中津川、雫石川)の土手ではピクニックを楽しむ家族連れや、ワンコと戯れる人、ベンチで昼間からビールをあける人…思い思いに春の休日を楽しんでいる。

 ひと休みしようと、路地の一隅にある喫茶店に入った。
 小さな焙煎機と大きな窓のある喫茶店。窓からは池とその周りを縁どる木々や花、ときおり池のほとりの小道を歩く人の姿が見える。池の周りのソメイヨシノは今まさに散り際で、私たちがお店にいる間、雪のようにはらはらと池の水面や小道に舞い落ちていく。

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 店主はまだとても若いひとで、繊細な手つきで口細のポットから手製のネルにゆっくりドリップしていく。ポットの口から落ちる針のような細い流れに、全身の神経を集中して。十席ほどの小さな店内に、やわらかく香ばしいコーヒーの香りが漂っていく。
 クルミ材のテーブルにそっと置かれたブラジルは、やわらかくたおやかな味わい。革張りのクッションを敷いた椅子に全身をゆったり預けて、桜の花びらに染まる池を眺めながらコーヒーを味わうひとときは何にも替えがたい瞬間だ。清潔で静寂に充たされた店内は、一人で来ている女性の姿が目につく。
このお店に通える盛岡市民が羨ましい。

 帰り際、このお店の珈琲豆を買っていこうとアルバイト君に袋詰めしてもらっている間、店主は入り口横にある小型焙煎機を回していた。ほぼ二秒ごとに少量ずつ豆を引き出しては香りをチェックして焙煎を続けている。職人気質の技術者みたいな雰囲気だ。
 夫が声をかけたら、店主は足元の麻袋から薄緑の豆をひとつかみ出して、
「これが焙煎前の豆です。うちはわりと浅煎りで、やわらかい感じにしようとしてますけど、○○さん(市内の老舗珈琲店)は豆の表面に脂が浮くくらい深煎りにしています。そのお店の好みで豆の焙煎は違います。焙煎機を回す速度や時間によって豆は本当に変わりますね」
静かな中に珈琲への情熱が感じられる口調で説明した。その間にも珈琲豆を少しずつ掌に落として香りを確認し続ける姿が、なんだか自分の子どもを育てているように見えた。

 珈琲豆をしまっている戸棚を開けると、あのときの深くやわらかい香りが一瞬たちのぼる。
 今度盛岡に行ったら、光原社で珈琲豆入れを買おう。