変わるもの、変わらないもの

イメージ 1

 去年の夏ごろから、家で休日を過ごすことが多くなってきました。
 リアルでは(特に職場では)自分からプライベートについて話すことはまずないので、同世代の独身または既婚で子供のいない女性がいかなる休日を過ごしているか知らないのですが、なんとなく、「休みのたびに出歩いてたの?!」というリアクションが返ってきそうな気がしますね…。

 特に激減したのが、「雰囲気のいいカフェで本読んでまったり過ごす休日」。旅先はともかく、都内のカフェに電車に乗って出かける休日で、本当にリラックスできるのか疑問に思えてきて…。最近は複数路線の乗り入れが増えて、埼玉の奥地からも都心を経由して横浜までほぼ乗り換えなしで出られるから、休日はどの路線も混んでるし。
 自宅にF&Mの紅茶も好みの自家焙煎珈琲店の豆も常備していて、お気に入りのカップがあって、未読のハードカバーは山積状態、さらに私がすっぴんだろうと構わずお相伴してくれる相手までいるのに、なぜ外に出るのか?といったところでしょうか。
しかも、料理スキルが上がればそこらのカフェメニューの安易なフードくらいなら自分で作れちゃいますからね。
(もっとも、一番好きなお店はマスターが70代で営業時間も短縮しているので、ある日突然激しい後悔に苛まれることがないよう、近くに立ち寄った折には必ず顔を出しています)

 結局、休日に混んだ電車で移動して、時間・体力・お金を投資しても行ってみたいと思うものは、ネットでは代替不能なライブ(能とか 笑)や美術展や旅先での体験なんですよね。あと本屋の棚での出会い。時間と体力だけには恵まれている若さを失いつつあってはじめて、自分にとって必要なものがわかるといえるのだろうけれど、それまでには圧倒的な行動量が必要だったということでしょうか。
 最近は自分の知識教養の不足・思考の幅の狭さを切実に感じていて、本を買うペースと読む(そして理解する)スピードが全然追いついておらず、休日は本ばかり読んでいます。
昼間からベッドの枕元に本積んで、読んでいるうちに眠くなって、起きてまた読んで…という状況がパラダイス(笑)。
(↑切実だという割には、昼寝読みwww)
 今まで好きだったものを仕分けして割いたインプットの時間が、果たして何を生み出すのか自分でもまだわからないけれど、今はこの内的な変化を成り行きに任せて愉しもうかな~と思っています。