『ピンフォールドの試練』(イーヴリン・ウォー/白水社Uブックス)

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 続けて何冊も読むのはキツイけれど、ときどき無性に読みたくなる作家というのがあって、辛辣な風刺とブラックユーモアを身上としたイギリスの小説家イーヴリン・ウォー(1903-1966)なんてその典型かもしれない。
 一昨年(2016年)がウォーの没後50年ということで、何冊か新訳が刊行された。とはいえ、ウォーの作品は吉田健一の翻訳で読むに限る(断言)。残念ながら代表作『ブライヅヘッドふたたび』も『黒いいたずら』も古書市場でしか手に入らないから、『ピンフォールドの試練』は私の知る限り唯一新刊で入手できる吉田訳。

 筋書きとしてはいたってシンプル。主人公の小説家ギルバート・ピンフォールドは睡眠薬と酒の飲み過ぎで転地療養をすることになり、一等だけの客船でセイロンへ旅立つ。乗船早々、どこからとも聞こえてくる騒々しい音楽や怪しげな会話に悩まされるが、ピンフォールドは音の正体を、戦時中にこの船で使われていた通信設備が残っているからではないかと考える。しかし、声はやがて小説家の悪口や嫌がらせの相談になり、彼に悪意を持つBBCのラジオ放送まで聴こえてくる。ついに襲撃計画まで聴こえてくるようになり、ピンフォールドは幻の声に立ち向かう…というもの。

 小説の冒頭でピンフォールドが酒と睡眠薬を過剰摂取している描写もあるので、すべては幻聴であるとわかるように書かれているのだけど、この幻聴の内容がそれなりにリアルに展開しているのが面白い。
 ウォーの真骨頂は、自分に対する(いかにもありそうな)悪口をよくもここまで書けるという自己批評の高さだろう。特に第一章での「作家」という職業に対するシニカルな批評にいたっては笑ってしまう。なにしろ第一章のタイトルからして「中年の芸術家の肖像」だもの(笑)。ジェイムズ・ジョイスの『若き芸術家の肖像』の風刺であることは明らかで、これだけでもウォーが煮ても焼いても食えない小説家だということがわかる。吉田健一のさらりとビターな訳も秀逸。

彼は自分の本を自分が作ったもので、自分の外にあって他人が用い、また、評価するものだと思っていた。

ピンフォールド氏の考えでは、大概の小説家は一つか二つの本の材料を持って生まれてくるだけで、後はすべて手品を使っているに過ぎないのであり、どんなに才能がある大家であっても、それがディッケンズやバルザックでも、明らかにそうして手品を使って読者を騙しているのだった。
(毎回ノーベル文学賞が噂されてる某ベストセラー作家を思い出す…)

ピンフォールド氏の趣味の中でいちばんはっきりしているのは消極的な性質のものばかりで、彼はプラスチックや、ピカソや、ジャズや、その他どういうものであっても、彼自身の生涯に現れたものはすべて大嫌いだった。
ピカソとプラスチックを並べるなんて、すごい辛辣!)

ピンフォールド氏はその年齢と危険な職業にもかかわらず、自他ともに許しているとおり、現代人の不安という流行病に対しては不思議なくらい免疫があった。
(近現代文学メッタ斬り!!)


 ピンフォールドは船内の幻の声に対して鬱になったり寝込んだりすることなく、正気を保った人間として断固立ち向かう。もっとも、幻の声の中には、50歳のピンフォールドを慕うマーガレットという若い女性がいることになっていて、ピンフォールドが彼女(もちろん妄想の産物)を迎えるためにベッドを整えてガウンを着て待つというコミカルな場面もある。
 ピンフォールドの、他者(世間)に対する意識の中に、俺もまんざらじゃないナという中年男性の自己意識もしっかり描かれているというわけだ。小説はピンフォールドの視点で書かれているけれど、ウォーは読者にしか見えない視点をも書くことで、それが中年の小説家(作者の自己戯画)と彼を取りまく世間に対する批評になっている。
 すぐれた作家は、主人公との距離のとり方が絶妙だと思う。漱石の、作中における主人公に対する批評も何度読んでも面白いけれど、考えてみれば漱石は19世紀末のロンドンで精神疾患に苦しみながら「英文学」に対峙していたのだ。(なぜカギカッコつきなのかは、別の機会に書く、かも)
 やがて、ピンフォールドの態度に根負けした「不屈の悪漢ども」は妥協案を出してくるけれど、彼は断固拒否。「おまえを駆除すべき公害だと考えているんだ」と言いきり、とうとう幻の敵を追い払ってしまう。日本人なら徹底闘争はせず、落としどころを見つけて妥協すると思うので、こういう解決方法というか対応の仕方には、文化の違いというか宗教観の違いもあるかもしれない(ヨーロッパにおけるキリスト教は本質的に闘争的な宗教だと思う)。


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 ウォーは自分の屋敷の周りに「立ち入り禁止」の札を立てていたというエピソードがあって、これがその証拠写真
なんというか、まさに幻の悪漢どもを撃退できそうな面がまえですね(笑)。ガウン着てる場面を想像して笑いが…。
 
 『ピンフォールドの試練』は、小説の書かれ方(視点)をずらすことで幻の声との闘争を描くことに成功した小説だけど、舞台を「セイロン行の一等だけの客船」にしていることで、歴史的・文化的な意識があらわれている点も面白い。二度におよぶ大戦後のイギリス中流階級の生活や階級意識をベースに、イギリス人のユダヤ人や非白色人種に対する差別意識が書かれている。その視点で読み直したら、また別の読み方ができそうな気がする。